世迷いごとを声高に叫ぶ評論家に価値はあるのか

http://homepage.mac.com/naoyuki_hashimoto/iblog/C478131471/E20061002165618/index.html
著作権という制度が今どういう批判に晒されているかを踏まえたうえで、正論を叫んでいるのであればまだ理解は可能であるし、「ああ、旧来の利権にしがみついている業界側の人なんだなあ」との哀れみの視線で見ることもできるのですが。
そもそも、再販制度で保護されている業界において、万引きの一番の被害者は小売店であり、立ち読みされたらまあ利益にはならないけど万引きは明らかに損害。それを同列にする時点で作家の損害というお題目がいかに浅薄であるかわかろうものです。
大体、芸術の価値は売れることが第一ではないわけであるからして、湯川女史が問題視し(というより心配ですかね、飯の種の)ているのは文化の衰退ではなく利権構造の変化だと思います。簡単に踊らされるのも大衆ですが、一方で、本当にいいものを最後に残していくのも大衆です。その場限りのマーケットにおける成功が文化の発展を約束しているわけではない。音楽業界のこの15年くらいの変遷を見てきていて、今何が残っているかをわかっているのであれば、決してこんな話はしないと思うのですが。売れないからよいものを出そうとしないというのは芸術家の態度ではないですよね。売れ線を狙うことを否定しているわけではないですが、売ること自体が目的になってしまったとき、それは文化ではなくて風俗だよね。
しかし、本や雑誌が国家的財産って。国民的というのであればまだわかります。選ぶのも捨てるのも国民。