評価されるべき人は他にもいるのではないか?

成果主義への違和感の正体の続きみたいなものですが、客観的な指標を評価の軸にすると数値にならないような部分がぽろぽろ漏れていくように思えます。
例えば、その人自身の本来の職務ではそれほど有能ではない(むしろ足を引っ張る部類に入る)けれど、なぜかいるだけでみんなのやる気や理解が上がるムードメーカー的な人。少数精鋭のときは無駄でしょうがない存在ですが、チームの規模がある程度になるとこういう人がいるのといないので実際に仕事の質が変わったりもします。しかし、生産性とかバグの数のみで評価しなければならない場合全く評価できない。評価の対象・指標が現場に必要なものになっていないと評価されないわけです。チームのバランスをとるために必要な人材と言うのは画一的ではダメですが、ムードメーカーや宴会部長が必要以上に多くなってしまってもいけないので難しいところです。もちろん、本来の職務で有能さを持っているのが理想ではあります。
今の成果主義というのは、人件費削減の流れの中で出来てきたきらいがありますので、長期的な視野での評価はやりづらいし、仕事の枠が完全に決まっている人をプラス評価するのも難しい。一方で、マイナス評価をするのは簡単です。個人に限らず、ビジネス自体の評価も短期で結果が求められる方向にシフトしていっていますが、真に戦略的な経営は短期的な視点も長期的な視点も両方持っているはずです。しかし、現場の指揮官が短期的な結果しか求められないのであれば、(一時的にマイナスに耐える必要があるような)長期的なビジョンをどうやって実現するのでしょうか。*1
外資系最大手IT企業が日本での裁量権をほぼ失って本国から人が送り込まれてくるが、現状に合わないグローバルというなのプロセス押し付けを現場に強要している現状があります。きっとその人は任期中に数字をあげてしかし今まで積み上げてきた土台を食い荒らして帰っていくんだろうな。

*1:ベンチャー企業が新しいプロセスを生み出し、大企業が買収すると言うのがその流れの一つかもしれません