ネットの大海に、いざ漕ぎ出さん

昔はやっぱり向こう岸の見えない果てしない大海原で、右も左もわからず、人食いザメがうようよしている中に小船一艘で繰り出すような、そんな雰囲気があったんだと思います。僕は大学入った頃、ちょうどNetScapeの2が出たころで、当然Windows端末なんかは3.1でWinsockも入っているかどうか。数少ないWorkstationのコンソールからWWWを見てすげーと思っていました。その昔からNetNewsなんか生息していてfjでもまれたような人からするとNet界のモラルも堕ちたものだぜなんて思っていた時期かもしれませんが、それでもなお、この時期にインターネットを触ろうとなんてする人はある程度専門知識を備えた、仕組みを含めて学ぶ意欲のある人が大半だったと思います。あとエロ。WWWは船で漕ぎ出す代わりに飛行機が登場したようなものです。まあ、一般人は乗りませんな、最初は。
Win95時代はそれでも一般的にはインターネットに接続するということ時代がまだ不自由でした。いうなれば、パスポートを発券してもらう敷居も高ければ渡航費も高い。インターネットに繋げることがそれなりの技術だった。既にネチケットとかメールのお作法とかは話題になっていたし、相互リンクという古き良き文化もあった。何せYahoo!しかないんだからユーザーが自らコミュニティーを作っていかなければならなかったわけです。ただ、逆にリンクを辿れない=辿りつかないということでもあったから、閉じられたコミュニティーが一応機能していたのです。この中において、無断リンクお断りという言葉はある程度の効力を持っていましたね。何しろ、そのリンクさえなければほとんどの流入を避けられるのですから。今やハワイの公用語は日本語ですと言うくらい渡航が当たり前になっちゃったものの、デリカシーのない観光客として糾弾されたり、怪しげな裏路地に近づいて襲われたりしてしまう。
インターネットが一般的になるにつれ、その便利さだけがクローズアップされて、基本的なことが理解されないまま人口だけが増えていきます。もっとも大きな誤解は「自分が世界に繋がっている」という認識ではないでしょうか。本当は「世界が自分に繋がっちゃってる」のです。つなげた瞬間、こちらの主体性に関わらず、世界中からアクセスされる対象になるということです。古き時代はそれでもしかし、一方通行のアクセスが成り立っていたのですが、過剰なOSの機能、スパイウェア、ウイルスとその侵食範囲はローカルのマシンにまで広がってきています。検索エンジンが高度化し、自動的にページがキャッシュされ整理されていく現在、パブリックなスペースに文書を置くと言う行為がどのくらい取り返しのつかないことか。一見敷居が低くなったように見えるネットの大海ですが、過去から続く海上の荒波はもちろんのこと、上空を行く飛行機をも捕らえようとするバミューダトライアングルみたいなものがどんどん増えているのです。知らなかったでは済まないことがいつかやってきます。自己防衛は生き物の本能としてあると思いますが、肉体から切り離された仮想現実という認識を抱いている限りはその機能にはスイッチが入らない。目覚めなければならないのです。
無断リンクお断りと言う文化のようなものは古き(良き?)時代は機能していたというだけの過去の遺物です。セキュリティーについてもそうですが、過去の常識、良識に囚われることは果てしなく地殻変動を続けている現在のネットの大海では通用しないと言うことを、古参ネットワーカーも、新参ネットワーカーも常に意識しなければならないんですよね。

ここ最近、mixiが批判に晒されていますが、本名で登録することそのものではなく、本名で登録しておいてその上で不特定多数にばれたらまずいことをしてしまう方が問題なのです。もちろん、本名がわかってしまいまたコミュニティーから個人の特定がしやすくなると言うのはデメリットとしてあります。変なストーカーみたいな人に当たらんとも限らんわけで。利便性にはリスクがあるということを皆が認識していればよいのですけどね。