反論権

  • エントリを書く⇒コメントで突っ込まれる⇒コメントで反論
  • エントリを書く⇒はてブコメントで突っ込まれる⇒はてブで反論
  • エントリを書く⇒はてブコメントで突っ込まれる⇒エントリで反論
  • エントリを書く⇒はてブコメントで突っ込まれる⇒面倒なのでスルー

まあ、自分の書いたことに対して事実誤認とか気に触ることを書かれたりとかしたら反論したくはなるわけですね。相手がはてブだから反論できないなんてのはあるわけない。でも、反論が有効でなさそうな気分と言うのは分かります。上記のリストはたぶん上から順番に相手が見てくれる可能性が低くて、下に行けば行くほど意味がなさそうにも見えます。
だけど、反論を書くことで果たされることもある。誤読とかそう言ったものははてブを意識するならあらためて誤りを正しておくべきかと思います。はてブが使えない(セルクマしたくない)ならエントリを立ててでも。意識する必要がないなら放置でもいいけれど。
じゃあ、それで満たされないものは何か。僕が感じるとしたら、それは「その瞬間涌いたやり場のない怒り」。全ての言を冷静に受け止められる人はそんなこと思わないのかもしれないけれど、やっぱり腹の立つブクマコメントがつくこともあるでしょう(幸いにして、僕はまだそういうのはない)。適当に人を小バカにするブクマをされたらせめて「オマエモナー(死語)」くらいは言いたい。言いたいけど「オマエモナー(死語)」じゃエントリ立てられない。いや、立ててもいいんだけど、それ俺のブログじゃないよねみたいな。くだらない煽りに対して同じレベルで返せない。そこであえてエントリを立てるとしても、それなりのことを書こうとしたら時間もかかるし、その瞬間の怒りを文章で発散する前に空しくなるかもしれないし。怒りが持続するようなものであればエントリてればよいのだけれども。
結局、はてブに対して反論することのコスト感(お手軽度)の差が反論できない感や不公平感を生むんじゃないかなあ。労力かけて見てもらえなかったら意味ないわけで。