ひとりっ子 / グレッグ・イーガン

ひとりっ子 (ハヤカワ文庫SF)

ひとりっ子 (ハヤカワ文庫SF)

イーガンの日本語オリジナル第三短編集です。作品の執筆時期は初期のものからわりと最近のものまで様々ですが、それなりに読みやすいものが揃っていると思います。ハードSFの中でもイーガンは数学や物理の最新のトピックを駆使する傾向にあるので生粋のSF人以外からは敬遠されるきらいがありますが、理論の詳細ではなくアウトラインだけ分かればSF小説として十分楽しむことが出来ます。論理的な思索に耽るのが全く趣味に合わないとさすがにどうかと思いますが。
さて、本短編集も相変わらずアイデンティティーの問題や多世界解釈を中心に扱っています。また、人間と言う存在について一歩引いた、覚めた目でその原理を説き明かそうとする姿勢はある種の冷たさを感じさせますが、その一方でそれが本質のある部分を捉えているとの思いを抱かせずにはおきません。人間観察の方向性としてはP.K.ディックの発展形なのかもしれませんね。
・行動原理
妻を殺した犯人に復讐することがどうしても正しいとの確信を抱けなくて思い悩む主人公が神経を一時的に改造するインプラントにより解き放たれようとする話。人にとって自由意志とは何か。ラストが重い。
・真心
移ろいゆく人間の心を恐れて、愛し合う二人の気持ちを固定してしまう話。「行動原理」は決断できないある行動に対して外から「その行動は自明のものである」と植えつけるインプラントが登場しましたが、ここでは逆に「今の気持ち」を固定化してしまうインプラントが登場します。そこに到るまでの過程と結果のギャップが物悲しい。
・ルミナス
これは面白い。数学的に真と証明されたある言説が、一方で否定されると言う事態。それは数論の崩壊を意味するのだけれども、数学を記述言語として説明されてきた物理が崩壊してしまうことを同時に意味する。けれども、現実に数論が矛盾するのであれば、それが初めから間違っていたか、あるいはその曖昧な境界線の向こう側には「別の数論で支配された世界」があることを意味するのかも知れない。この数論の「不備」を巡って世界最高コンピューターで実験が行われるまでを描くある意味冒険活劇。と言うと難しく思えるかも知れないけれど、僕もよくわかって書いているのではありません。途中の理論はすっ飛ばして派手な攻防に集中し、最後に現れた者たちに思いを馳せれば世界崩壊の危機を救ったことを追体験したような気分になれるかも知れません。
・決断者
人間の認識の「百鬼夜行(パンデモニアム)」モデルのモデル小説。人間の持つ情報を映し出す「眼帯」。主人公が強盗して奪い取ったそれは、しかし、なぞのパターンを見せるだけだったのだけれども、あるときそれが人間の思考のパターンを映し出すものだと言うことに気付きます。そこに人の意思は存在するのかと言う問題に対して主人公がたどり着いた結論は…まああんまり気分の良いものではありませんね。
・ふたりの距離
以前の短編でも使われた「宝石」というアイディアを元に人間の依拠するところを模索する一編。お互いの体を入れ替えたり、外見が同一の体に入ってみたりすることで互いの距離を縮めていこうとする二人。究極の同一化として、思考と記憶の一時的な一体化が可能になったことが分かり、早速被験者として実験に参加するものの…。完全に同一化してしまい、理解する必要がない(だって「知って」しまっているんだから)ものは存在は別であってももはや他人ではないということが、二人である意味を失わせてしまうというのは感覚的にわかる話ですね。
・オラク
改変歴史物。登場する人物は巻末の訳者によるネタバレを読む必要もなくわかる人にはわかるでしょう。逆にわからないと特に前半のくだりは何がなんだかわからないかもしれません。というわけで、一度読んだら登場人物のモデルが誰かということと、その人々の簡単な紹介を読んでからもう一度読み直すとすっきりすること請け合い。もっと言うと多世界解釈的な部分を味わうのであれば、最後の一編「ひとりっ子」を読んでから再読することをおすすめします。最初の方に語られる世界の分岐ポイントに対するアイディアが次にどう適用されていくか、と言うのがメインアイディアのような気がするのですが、よくわかっていません。そこはかとなくディック臭の漂う一編。
・ひとりっ子
一つのテーマとして、わりと古典的な「人間としての自我を獲得するロボット」について語られますが、そこはイーガン、その人工知能に一ひねりいれて多世界解釈と絡ますと言う離れ業。夫婦が「人工の娘」を作るまでに到る過程がちょっと長い気もしますが、そのメインのストーリーはアシモフの「われはロボット」に匹敵するというと言いすぎかも知れませんが、一つの「こうなるかも知れない」世界を十分に示してくれています。ところが、主人公たちが作ったAIは多世界解釈から解き放たれたハードウェア上に実装されていると言う、(多世界解釈が正しいとしたら)人間とは似て非なる存在と言うのが面白い。それを知ってぐれちゃったりするのも。何しろ主人公が多世界解釈を信じていて、思い悩んでいる。その悩みを解決するための一つの手段として生み出してしまったのがその子であるわけですから。
ところで、多世界解釈的な発想が正しいとすると、そこから解き放たれた存在と言うのは直感的には想像しがたいのですが、その特殊性が「オラクル」に還元されていて、併せて読むと面白いです。思索のネタにはもってこいですね。