コメントのノイズとシグナルの境目

何がノイズで、何がシグナルか。ノイズなるものの定義が明らかである場合には測定、数値化、閾値の設定が可能かも知れない。言語によって表現され、個別のハードウェアが受け取り感情と理性のフィルターを通してソフト的に処理したとき、それがノイズとされるかシグナルとされるかは予め数値化できない。そのシグナルの極性についても同じになるかは限らない。無数の異なる処理回路において大多数が同じ処理をし、同じアウトプットを得る信号もあるだろうけれども、大抵の場合はそうじゃない。
だから、実名とか匿名とかトレーサビリティーがコメントのS/N比をあげるかどうかは定かではない。全体として上がる可能性が高いのは予想できるけれども、全ての場合において適用可能ではないことも直感的に想像できる。
ともあれ、そのアウトプットはフィルタリングされた結果であるわけで、つまり、そのフィルタリング部分を自動化することができるのであれば、当人にとってノイズとなるものを直接処理しなければいけない機会も減るのではないか。これは非常に今更的な発想であり、実践している人だっているだろう。
機械化することで、本来有益なものを取りこぼす可能性もでてくるけれども、ここは時間とのトレードオフ部分であるから仕方が無い。イナゴがうざかったら網で囲うくらいはしてもいいんじゃなかろうか。