受容と許し

許すことというのは受け入れることではないけれど、許さないという言葉が受け入れを拒否するニュアンスが強すぎて、誤解されがちな気がする。
許すってのは「〜において」行われるもので、それは愛であるかもしれないし、法律であるかも知れないし、自分に対する規律であるかもしれないけれど、なんらかの基準によってなされること。許さないってのはだからその基準に照らしてとても許容できない、と言っていることになる。
だから、決して相手の行為や考え*1そのものを認めるってわけじゃないんだよね。
受け入れる、というのはもっと大きな話で、行為や考えの意味や意図を理解し、認めた上で行われることじゃないかな。同意し、自分も少なからず影響を受けるもの。
理解しても、許容も受容もできないこともあるし、理解できないけど許されることもある。そういったこと全てに対して一貫した態度を取り続けることは僕には出来ない。立場や人間関係やある部分に対する考え方や何かのキーワードによる連帯感や、その他のもろもろのパラメーターによって、なんらかの基準というのが個別に設定されるから。
でも、許すよ、と言ってしまったら話はそれ以上進まないのかも知れないね。

*1:考えに許す許さないという概念があたるのかは個人的にはそこそこ疑問