議論が巡るだけになる理由

社会とか、司法とか、1000年以上かけて作り上げてきたルールは、世界が狭くなるごとに大きく変化していったものだと思うけれど、ネット(インターネット前史についても該当する話として)の出現と言うのは、二つの別の世界の出現が同時に起こっている。
一つは、現実と切り離された別の世界の創出。これは、それまで芸術の世界では一部試みられていた部分もあるけれども、現実的な住処として別の人格を持つことができるようになったということ。
もう一つは、さらに時間と空間が狭まった(=地球が狭くなった)現実世界。
単なるツールとしてウェブを使用していると言うのは、後者、すなわち、既存の世界の延長としてのインターネットを見ている。インフラとして。実は、日記的使い方をしている人は後者なんだけれども、なんとなく前者のような気がしてしまうのは、前者側からの視点に過ぎない。
前者の人は、インフラとして成り立つための仕組みに寄生した仮初の住人なのかも知れない。だから、本質的には排除されうる。とすると、存在をかけた戦いをしなければならないのだけど、現実的な議論をしてしまうから、平行線を辿るばかりなのだろう。
なんていう視点から考えると、面白いんだけど、半ば妄想だな。