言い方の問題

議論の場において、相手の言について言いかえをして意図を明確にする、ということは普通に行われることですが、言葉のもつニュアンスを変えた言いかえを行うことはあまり良い印象を受けません。

「ローコスト」であるから通常の9倍の劇薬を投与して患者を死に至らしめても医師を免責せよというのは理屈になっていません(もともと、「ローコスト」だから患者を死に至らしめても免責せよということ自体、理屈になっていませんが。)

明らかに過失があるケースの訴訟を否定している人は誰か - novtan別館

前者について「死に至らしめる」という言葉は妥当かもしれません。至らしめる、と言うのは「結果として」というニュアンスを含みつつも、トリガーを引いたことに主体の意思または責任が反映されているような言葉です。つまり、わざと、あるいは悪質な怠慢の結果。しかし、後者については、ローコストであることと、患者が死ぬことの間に様々な理由があるのに、もっと言うと、ローコストを選択したのは医師の意思ではないのに、それによって起きた患者の死は医師の責任であるかのように取れます。
しかも、若干論旨が曖昧です。

  1. 「ローコスト」のせいで死ぬことがないから
  2. 「ローコスト」で死ぬのは医師のせい
  3. 「ローコスト」ではないだろ

のどの理由で「理屈になっていない」のかわかりませんし、仮に他の解釈が無いのであれば、僕の今まで聞いてきた話から考えると、この3点はどれも否定される、つまり、この3点が理由で免責せよ、という理屈はある程度認められるべきではないのかって思ってしまいます。つまり、これらの点が否定されると逆に「理屈になっている」ことが成り立ってしまう。ただでさえそう感じるのに、「死に至らしめる」を使うことで、2のニュアンスであることを感じさせたらこれはもうダメでしょう。この3点の中で2が一番理屈でも感情でも否定されやすい。もしかしたら、この3点以外の説明があるのかもしれないけれど、2に誘導するような言葉遣いをした時点で、そう読まれることを望んでると思われても仕方が無いと思います。