殺人との分かれ目

事故と殺人を分けるものはなんだろう。主観的には殺意の有無なんだろうけれど、客観的に。
ここまでやったら死ぬ、と言うのがわかるかわからないか、と言うのはあるかもしれない。何かの弾みで、通常なら致命的でない行為が致命的になるかも知れない。法律が定義できるのはシンプルなルールでしかなくて。
結果に対してのみ、罪を問うことが可能なのであれば話は簡単なのだけど、本当に事故だったり、医療行為の結果だったりすることが全て殺人として少なくとも今の日本の社会における最低な行為であると認定されてしまうことは社会として公平ではなさそうだ。問われつつあるけれど。
殺人だけの話ではなくて、社会における行為の許容度によって原則的な法が左右されるのはあまりよろしい話ではない。かといって、社会情勢にあわせて法律を変えればいいじゃないってのもちょっと違うと思う。認定基準そのものを変えるのではなくて、運用が現実的ではなくなった部分を変えて行くべきなんではないかと思う。
建築物の新規着工件数が大幅に減った話を聞いて思ったこと。ルールに責任を取らせようとするのは愚だ。殺人の話にしてもそうだけど、責任を果たすべき人が誠実であれば世の中は簡単に回ると思う。そうでないからと言って、不誠実なことを前提にルールを決めることは難しい。疑わしきは罰すると言うのは前時代的だ。だから、その誠実と不誠実の狭間に法律があって、その触れ幅がどんどん大きくなっているのは、評価する側が不誠実だからかも知れないね。