断言について補足的に

昨日のエントリがあんなに反響があるとは思わなかったのですが、このことはつまりみんなそれなりに思うところがある問題なんだということですね(断言)。
ああ書いておきながら、僕自身はそこそこ断言をすると思うのですが、なんらかの主張をするときにはやっぱり少なからず断言になるわけで、また、「これはちょっと無茶論だよな」と思ってもまずは断言してみることも必要だったりするのですよね。だから僕は断言そのものはするべきだと思うし、断言したことによって自分の世界を縛るのではなく、断言をした自分自身すら批判的に見ることができればいいんじゃないかな、と言う想いがあります。もちろん、そのことについて確乎たる自信があれば引かなくてもよいけど。するほうも、受け止めるほうも、断言ということについての効用と副作用を知った上で、断言をしたことそのものではなく、その内容についてフェアな論争をできれば一番良いんじゃないかな。
ただ、前のエントリに書いた、適用範囲、ということはもうちょっと意識してもよいと思ってる。特に、ネガティブ言及の場合。というか、否定的言説か。なんらかの主張に対して(それはきっと何らかの立場によって行われているのだけど)、自らの価値観のみを頼りに切って捨てる。そのことは、同じ価値観を共有している人にとっては胸のすくようなことかも知れないけれど、価値観を共有していない、もっと言うと正反対の価値観を持っている人にとっては単なる不快な言説に過ぎないだろう。言及元への賛否はあるとしても、それに対してある価値観を(暗黙であっても)持ちされたときに「俺は違うよ」と言うことをわざわざ言わなければならないような十把一絡げされっぷり(しかも同類認定)に直面するのは嫌なものでしょう。言及元は、自分の価値観としての断言を提示しているのであれば、ネガティブに当たるときには特に言及元との価値観の適用範囲を適切に設定しないと上手くいかないような気がしました。まる。
とは言っても断言しちゃうわけだけどね。断言した内容で人格を判断しないという基本がまずあってよいのかな。