実名の価値

IDが実名と結びつかないと言うおよそ理由としては成立していないような話で匿名のイナゴ認定&実名晒し(実はもとより実名で活動)、と言う事件がおきたときに、じゃあ僕らの使っているIDとは何ぞやということを考えるわけです。何度も言っているけど、僕は実名を出すことは本人だけではなく、自分の周りの人についての情報も管理しなければならないと言うことだから、慎重になるべきと思っているし、僕自身は簡単に実名を辿れてしまうはずだけれども、積極的に実名を出すことによって得られるメリットはないし、わざわざ自分の馬鹿さ加減を大声で宣伝することは無いよね。わかっちゃう人がわかっちゃう分には構わないけど。
IDにおける実名性の担保などはっきり言って一切無い。そもそも、各サービスのIDが個人を識別するのはIDが正しいからではない。認証の仕掛けにおいてIDとPASSWORDのセットを知りえる人が本人である、と言うことを担保しているに過ぎない。IDはラベルに過ぎず、そこに現実の人格を示すものは一切付与されない。IDが名前を述べていたからと言って何だというのだ。公的機関での証明を得た、実在の人物と一対一対応した、その対応が客観的に明らかな、ID*1であるのであれば、よいかもしれない。
そんなところで、実名で活動することの価値は一体なんなのだろうか。実名であることそのものは権威にはなり得ない。ネットでの活動が現実の価値を高めることはある。現実ではちっぽけな影響力しかもてない人も、ネットではその活動如何によっては大きな影響力を持ちえる。そして、それが現実に波及する。もちろん、これはIDがどうとか言うわけではなく、単に実名がどこかに掲げられているとか、メールにはちゃんと実名で答えるとか、そういうレベルでも問題ないわけだ。殊更に実名そのものを出す必要はなく、あくまで、評価は活動内容と、その活動を実行している「人」が誰かであり、ここでも名前そのものはアイコンに過ぎない。簡便な識別子にはなりえるけれど、完全に個人を同定し切れない。
ただし、その場所での、そのIDを名乗る人、と言う意味では識別できる。現実と同様、ゴーストライターだったり複数の人の集合体だったりする可能性はあるけれども。もちろん、IDを乗っ取られている可能性もあるけれど。そういう意味ではikedanobuoもfinalventも記号としては同列である。
現実で実名の人が、ネットで実名であることは、そうは言っても大抵本人であるから、現実の力を持ち込むことになる。悪いことではないけれど、それは精々バックグラウンドを知ることで判断材料が増える程度のことでしかない。人気のある芸能人だって不用意なことを書くと糾弾される。評価されるのはあくまで内容であるからだ。
取材源の秘匿問題で思ったのは、本来、現実の結びつきをトレースすることのほうが難しい。ネット上では、基本的には活動をトレースされうる。よっぽど頑張らなくては秘匿できない。可能性としてはできるけど、大抵の人は何もしていない。一方で、現実では、あえてトレースしない限りは、辿ることは難しい。現実で記録されるログは、ネットにおけるIDよりも不確かなものである。記憶に残る顔や服装など、所詮曖昧なイメージにしか過ぎない。
ネットで実名の活動を行うことが、その人の言説に、取り立てて大きな裏づけをするとは言えないし、だとすれば、例えば依頼人の秘密を漏らしてしまうような、そんな危険性のほうが、実名で活動しているフィールドの話においては余計に増えるだけであるし、自分のフィールドでないところでは、むしろ専門外が何言ってるんだ的に取られがちで、いいことなど何も無い。
と言うわけで、僕はネットでの実名の活動は、いい意味でも悪い意味でも「売名」以外の何物でもないと思うのです。そして、それでいいと思うのだけれども。

*1:役所に行くと「あなたはikedanobuo_23です。」と振られて、公的な実名−ID対応一覧に、住民票レベルのデータとともに公開されるような