名寄せの問題について

個人情報保護法が出来た背景は、ウェブへ情報が流れることにより、その検索性能とマッチング能力により、名寄せできてしまう可能性が格段に高まることが、プライバシーの侵害に繋がる、ということである。
ので、直接的に違法ではないとはいえ、断片的な情報を繋ぎ合わせることで個人を特定したり、特定の個人の行動や性癖などを明らかにした情報を作り出すのは(ほとんどの場合自業自得とは言え)好ましい行為ではないだろう。
一方で、名寄せできない年金問題なんてのが存在する。実は、銀行もペイオフのときに名寄せをしているはずだが、本当に完全にできているかというと、全くそんなことはない。基本的には同姓同名問題があるので、ダマでの名寄せはできないけれども、明らかに本人であっても愛人用口座とか、へそくり用口座とかを勝手に名寄せされたらかなわん、ということを言われたら名寄せできないのが銀行と言うサービスであり、これもまた個人情報を保護するという観点から大事なことではある。銀行くらい分けろよ、と言うのは都会人の感想だろう。わからんけど。
いずれにせよ、昔は無防備に晒していた個人情報と言うのは、あくまで特定の、ローカルな部分での、用途に適応できるものに過ぎなかった。情報を入手するルートも限られていたため、犯罪のタネとして利用するにはリスクの大きいものでもあった。無論、今は不特定多数に情報が展開される時代だ。どこで入手したかなんてわからないだろう。
そういう意味では、実名のリスクも昔より高まっている。カミソリ入りの手紙が送られてきたなんて古典的な話は最近あまり聞かず、交通機関の発達や、隣人関係の薄まり、居所を知らせるようなブログなどにより、より直接的な行為が可能になった。といっても、嫌がらせで捕まりたくはないだろうから、カミソリ入りの手紙の代わりに勤務先に悪口とか告げ口をしたりする。このことは、匿名実名の問題ではない。匿名は実名よりも直接的な被害を受けづらいのは確かだ。ということは、防衛手段としては限定的ではあるが、成立している。
僕は実名の人が「今まで何もなかったから大丈夫」と言うことには一抹の不安を覚えるし、とはいっても大抵は大丈夫なんだろうという風にも思っている。しかし。この20年くらいでどのように情報技術が進歩したか、あるいはどのような事件がおきたか、ということを考えると、本当に5年後に実名で安穏としていられるのかという点について大変な不安を感じるわけだ。
今は大丈夫、ってのが昔は電話帳に色々載せても平気だった、ということの根拠だとしたら、既に情報がインデックスされてしまった今実名の人は、電話帳とは訳が違うということを認識しつつ、活動するべきなんだよな。
社会が狭くなったってのはこういうことだ。名寄せされることは必ずしも悪いことじゃないんだけど、ウェブでの名寄せは銀行のように、事前に問い合わせて拒否することができるわけではない。
繰り返すけど、実名が悪いってことは別にない。見知らぬネットユーザーに刺されるのは依然としてレアケースだと思う。そして、匿名には匿名の存在意義とメリットがある。どちらも必要だし、その必要のオーバーラップする部分での細かいイデオロギー的対立はもったいない。原理主義というのはどちらの側も全く意味がない。あるとしたら「匿名など必要ない」というのが実名側の理由かも知れない。そういう人は、毎日旨と背中に名札をつけて生活すればよいと思う。ネット上で名札を付けたくないから匿名でいる、という理由に対抗するためにはそういった行動が必要だろう。これは一例で、全ての匿名であるべき理由に対して、その理由が成立しないことを具現できなければ原理主義は成立しない。