箱根駅伝がお涙頂戴物語になっている件について

古館伊知郎のアナウンス業界における影響と言うのはものすごいよね。今更だけど。
しかし、そんなこんなで箱根駅伝と言うのは過去の長い歴史の中で、ほぼ高校野球にも等しい外付けの精神性を身に纏うに到ったわけです。繋がないと駅伝ではないとかさ、どんだけ勝手なことをアナウンサーが言っているんだか。繰り上げスタートやめればきっとこの無用なドラマは無くなる。ずっと苦しんでる姿を中継し続けてさ。どんだけSなんだよプロデューサーとか思うよね。もちろん、ハラハラしながら見ている視聴者もS。昨今のテレビ番組は、大抵視聴者の隠れた嗜虐心を刺激する方向に演出されているのだ(言いすぎ)。
儀式としてのスポーツになりつつある箱根駅伝、その一方で学連選抜が4位とかも本末転倒だし、大体大学生にもなって勝負の世界に徹することが出来ない競技で良しとするのはどうなんだろうか。これも過剰演出によるコンテンツ自体の価値の損傷と転換の一つなのだろうか。なんか何回だかの記念大会からおかしくなったよね。
駅伝そのものは結構見てて楽しい。応援したくなる。映像と解説だけあれば十分なのに。