蓋然性があることは断言するよなあ

単に可能性が高いってことではありますが、まあ、ほぼ断言するに足るというか。そういった文脈の中で、「そうでない可能性は0ではないから云々」という議論を繰り広げるという人は、何故今の議論に蓋然性があると周りが判断しているのかを理解していない。でも有効な反論ができないと論点をずらしたり、100%ではないことを盾に取ったりするのですよね。で、反論が整合性のないものや、論理性を欠くものになっていきます。
というのは、NATROM先生のところのコメント欄でのやりとり。

>「近所迷惑になります」と言われてもかの喫煙者が吸い続けたことが根拠です。
なるほど。NATROMさんは通りすがりの人に近所迷惑になりますので死んでくださいと言われたら死ぬんですか?死ぬわけ無いと思いますけど、あなたの挙げた根拠だと、死ねと言われて死なないNATROMさんとあの喫煙者は同等になってしまいますけど。それが根拠でほんとに間違いないですか?

2007-12-27

例えば、こういうの。詭弁もいいところなんだけど、もうそれしか反論の手がないことを窺わせます。これやったらもうほとんど敗北宣言に近いけど、本人はそう思ってないのかしら。しかも、問題設定すら元のものと同一でない(いつから通りすがりの人の話になったのか/行為の同等性とか)。
しかも元々先生はタバコは害だから吸うななんて書いてなくて、権利を守ろうとする人の態度として問題だ、と言っているのに過ぎないのに、タバコを吸うことの正義の話になってしまったらどうしようもないよね。これでまた一つ、喫煙者を嫌う材料が出来てしまうわけです。もちろん、一人の例を挙げて万人に適用することは意味が無い。けれども、悪感情ってのはそういうものの積み重ねなわけだからね。
そしてまた一つ、仮説が真である可能性が上がっていくわけです。