いいかげん論理が自家撞着になってきていますが

小倉先生は、どうしても今実名にしなければいけないという発想で様々な角度で議論を試みていますが、自家撞着の域を出ないように思われます。

そして、これらの犯罪のターゲットにするに相応しい人物の個人情報というのは他の制度により取得することが相当程度可能なのであって(ことの性質上、具体的には述べませんが。)、ネット上での発言者の匿名性を維持したところでその種の犯罪の発生確率を減少させる意味はほとんどありません。

la_causette 私たちは、いろいろな人に実名等の個人情報を知られているが、殺されてはいない。

と述べられていますが、

一定の行為を抑止するために現在採用されているほとんど全ての制度は、その行為がなされる頻度を相当程度減少させることはできても、その行為を完全に0にすることはできません。他方、その抑止策がなければ誰もがその行為を行うのかと言えば、それが抑止策がとられるほどに反倫理的であることに付き社会のコンセンサスがとられているものであればなおさら、そのようなことはありません。

「100じゃなければ0」という考え方を抑止論はそもそも採らない: la_causette

ということに対する批判が「これらの犯罪行為を行った人物の個人情報というのは現在の制度により取得することが相当程度可能」であるため、ネット上での発言者の匿名性を維持したところでその種の犯罪の検挙確率を低迷させる意味はないように思える、であることを思うと論理の恣意的な適用になっていると言わざるを得ません。
もっというと、このカッコ書き、「(ことの性質上、具体的には述べませんが。)」で具体的に述べない理由がものすごく大きいように思えます。実際には出来るけれども、そう簡単にできないように少しハードルが設けてあることと、それを取っ払ってカジュアルに可能である、ということの差は大きい。
タイトルで「殺されてはいない」というのは悪質な誘導であって、何かとのトレードオフを述べるときに「殺されないんだから(嫌がらせされても)いいじゃん」なんて言われても納得いかないですよね。
小倉先生は、実名化することで、メリットがあることだけではなく、デメリットがあることを示した上で、これとこれを比較したら明らかにこちらのほうが重要であるから、実名化すべきだ、という議論をされるべきかと思います。その際にデメリットの観点がこのような極端な事例ばかりにならないようにしないと。
もっとも、ポジショントークなのだろうなと最近は特に思います。が、一般に広く啓蒙する際にポジショントークを行われるのはあまりいい戦略ではないと思いますし、何故ブログで発信されるのかは疑問です。