「辛いなら会社を辞めてしまえ」は今だから言える言葉

ほんのちょっと雇用が上向いて、人材の空洞化のために、ある程度ちゃんとした経験を積んだ人を中途採用で欲しがる会社が増えてきた今だからこそ、「辞めてしまえ」はまともなアドバイスとして通用する。
既に敗残兵と化した、戦争のトラウマに悩まされる、あの戦いを潜り抜けてきたものたちにとって、辞めたら今の会社よりましになる、というのは幻想に過ぎなかったはずだ。あの時提示されていた、会社を辞めて逃げ出した人たちの帰結はホームレスだった。もちろん氷河期世代の話は、バブル崩壊後の大量リストラの話にも繋がる。報道がクローズアップしたドロップアウトした人たちの末路。3日やったら辞められないという。辛いところから抜け出して、人間らしい生活…人間らしいとはなんだろう。社会との直接的なかかわりを、残飯でしか得られない環境のことなのかどうか。
単なるイメージの問題だったのかも知れない。けれども、やりがいとか、まともな社会人とか、そういった言葉に惑わされ、あるいは、しがみつき、辞めたら終わりと思っていたのは果たして事実だったのか欺瞞だったのか。
過渡期だったのだろうとは思う。しかし、無能な上司や、めったなことでは首にならない安定雇用の公務員を憎む声は未だに上がる。嫌ならやめればいいのに。文句があれば公務員になればいいのに。冷静な判断力を持つことが出来るのは、安全圏にいるからかもしれない。左右に地雷原があるかもしれない道を、素直に前進したら必ず何人かが犠牲になる敵の拠点への近道として踏み入れるだけの勇気が、ささやかな自分の幸せを得るためのことであっても必要な人生など、およそ人間に耐えられるものではない。そんな社会に捨て駒として送り出されたことが誰の罪か。違法派遣で働かせることで肥え太り、世界有数の優良企業となった多くの会社。誰に対してそれを誇るのか。
再び戦争の火種が見えてきている。サブプライム問題・原材料高騰・食糧危機。果たして、「辛いなら辞めればいいのに」という言葉をいい続けることはできるのだろうか。