ゲーム脳的短絡による規制要求

正直、準児童ポルノ法だかなんだかができてもかまわない(昔の漫画雑誌をとっといたので捕まったらかなわんけど)が、こういった短絡的に、因果関係を主張するような発想は科学リテラシー的ながっかり感がおおいにあるよね。
いわゆる児童ポルノ法が様々な問題を抱えながらも肯定的に考えるべきなのは、その向こうに明らかに性的虐待*1受けている児童がいるからだ。そういった意味では、十分な効果があるだろう。もっとも、地下化するという問題はある。これも相対的な解決策に過ぎない。
一方で、きっとそうに違いないという理由で規制することは、その抑止効果より自分が理解できないことは非常識だし必要ないという発想が主となっていて、当然線引きもできないから、過剰な規制を求めていることに気づかない。嫌悪の感情以外の論理的な説明は往々にして破綻している。あるいは根拠が薄弱だ。
とはいえ、こういう性的嗜好を持つ人の発散の対象になっている、という擁護も同様に肯定はしづらい。自分はそうだ、という人がいたとしてもサンプル数は1だ。こう言った問題で他者の内心を確かめるのは困難である。
この手の問題に危惧があるとすれば、この先のコミュニケーションの形態が実の肉体を伴わない方向に進化していくときに、精神世界の問題として取り沙汰されてくるのではと言うこと。そういった意味では肉体的発散を伴う直接的描写より、精神深くにあこがれ的に植え付けられる文学的な表現こそ規制されるべきなのではないか。
という最後の結論くらいバカバカしい話ですね、ということですね。

*1:この言葉自体は社会的なものにすぎない。昔の日本では14歳は立派な性の対象だった、とか、あの国ではどうとか。しかし、現代のライフサイクルの中で妥当な年齢というのはあってよい。