優越感を語るのは友達とだけにしておこうぜ!

なんだかんだいっても、こうやって何がしかを語るときに優越感的なものを持たないってのもどんだけ純粋なんだって話ではあるよね。
そういう何かしら突出した思いとかが結実してエントリやら何やらになるわけで、またそれを叩きのめされて成長していくわけで。そうじゃなきゃウェブにアウトプットする意味なんてあまりない。
ただ、優越感を提示するのが目的になってしまうとおかしなことになる。少なくとも否定に対して優越感ゲーム化で逃げてしまうのは意味がない。そりゃ向こうから仕掛けてくることもあるけど、全ての否定に対して「上から目線でかたるんじゃねーよ」とか言ってみてもしかたがないわけで。優越感を提示しているんだったら、その自己認識における優越感が真に優越であることを信じてどーんと構えていたほうがまだましだ。
でもそういうのは「はいはいあんたが正しい」って軽くいなしてくれる友達に言えばいいんだよね。ウェブで優越感そのものを提示するのは全世界に成長過程な自分の一番恥ずかしいところを晒すわけだし、友達と違ってある信念をもった容赦ない批判をする人がよって来るわけで。まあ理想的にはその戦いの中で成長することだけど、本当にそれを望んでいるの?
これはウェブの何たるかを考える上では大事なところかも。なにしろ全世界から批判してもらえる可能性があるところなわけで、批判してもらうことで自分を成長させようと言う人にはこれ以上の場はない…かもしれない。ちょっとノイズ排除コストは大きいかもね。
いずれにせよ、ウェブでの優越感なんて批判対象としての価値くらいしかない(あるとしたらそれに同調して優越感を高めようスパイラルとしてだ)し、友達に言ってみて満足しといたほうが精神衛生上は安全だよね。優越感なんてそもそもある種の精神的安寧を得るため以外には必要ないんだから。