実名で発信する際はリスクとリターンを明確にし、評価しよう

実名発信の勧め的記事でいつも思うのは「実名で書けば責任を取れる事しか書かない」ような話。確かにそうなんだけど、それは書く内容の幅を制限することに他ならず、はっきり言うと「俺が価値があると思うこと以外を書くなお前ら」ということなんだよね。そしてそれすらも立場によって幅がある。結局、(社会的に)なんでもいえる立場にある人最強。カウンターメディアとしてのウェブは終了、と。罠だね。
書く目的について他人にとやかく言われる必要はないわけです。溢れんばかりの妄想のはけ口みたいなブログを実名で書いて社会的評価があがるか?
だから、実名で書くかどうかは、覚悟の問題ではあるけど、実名で「書かないかどうか」は価値観の問題なんだよね。これを一緒くたに語るのは「ウェブで書かれるもののの価値観とはかくあるべき」という押しつけなんだよ。
匿名はビビりなんていうのはまあ真実ではある。僕は自分だけでなく他人(ウェブとは関係ないところでのね)を傷つけるのを恐れている。そんなのはビビりだ。私小説は周りを不幸にしても文学的価値のために非道を貫かねば的覚悟を僕は持てない。だからといってそのような覚悟のないフィクションが価値を持たないという考え方は文化的には貧しい。留保のない実名要求はその類の貧しさだろう。
もっとも、このような主張をする人たちに、面と向かって聞いてみると、多分匿名で書くべきものは別の価値観で、存在を否定はしないしビビりだと思わないっていうだろう。だとしたら、ブログは実名で書くべき、っていうべきではなく、自分の価値を高める記事を書いてそれを生かすなら実名のリスクを取ろうって書けばいいのにね。言葉の重さを自覚しないで書いているのであれば、それはウェブの影響力の過小見積もりであって、そんな人による実名の勧めは逆説的に実名で書いても大したリターンが得られないことの証明に思えます。
もちろん匿名は全部ビビりだというような視野狭窄に付き合う必要はありませんね。
リスクを評価するのって難しい。3年ROMればいけるかも。それより目的をはっきりさせて、同じような目的で書いている人がどういう形態で活動しているかを見習った方がわかりやすそうですね。
既にして実名で書ける立場を得ている人の話を鵜呑みにしないようにしたほうがよい。留保のない実名の強要は場合によってはパワハラだよね。