匿名での対話と居酒屋の違い

良く匿名Webの話でたとえられるのが、居酒屋での雑談。これは僕もやった。ここには一つ大事な話があって、それは、決して「わからないだろうから放言すること」についてのたとえではない事だ。つまり、「居酒屋の会話はその場に居合わせた人も聞き流す。だから、冗談だろうと倫理にもとる話であっても問題にはならない。匿名も同じようなもので、相手が誰だがわからないから問題にならない」というような話ではないって事。
そうではなくて、結果として話されている対象の匿名性(これは人だったり仕事だったりその他のものだったりするけど)が保たれることが重要なわけ。最近では居酒屋で大事な仕事の話をしたら情報セキュリティー的に問題になる(ISMS的にも問題)ということを口を酸っぱくして言われている会社員の人も多いことでしょう。
じゃあ、その手のことなんてしゃべらなきゃいいじゃないって話は、確かにある。敏感な向きからすると、そのことは表現の自由に反していることなのかもしれない。
匿名である理由の一つには、こういうこともあるんだと思う。社会的な責任から逸脱しない範囲で、書きたいことを書くための手段として。だから、匿名言論は守りたいのだ。もちろん、限界はある。見る人が見たらわかっちゃうことを書くときは、それが見る人に見られてもいいのかどうかは吟味しなきゃならないし、匿名で書くといっても限界はある。でも、少なくとも、ある程度他者に配慮するときに匿名で書くことが一つの大きな手段ではありうる。
仕事に関する体験事例なんてのを書くときに、A社とかいってイニシャルにしても書いている人のパーソナリティーが明らかな場合、自然とわかってしまうことがあったりする。もちろん、書く内容から類推されることはあるかもしれないけれども。
じゃあ実名では何が書けるの、といったら書けるものが書けますとしか言いようがないんだけど、その書けるものというのは書いてよいかどうかを多角的に判断して出た結論に応じたアウトプットな訳です。何でも書けるぜ俺はという人にとってはその書くことが自分の生き方の損益勘定に照らして十分にプラスであるという結論によって導き出されたものだからでしょう。そして、計算を間違って情報漏洩で処分される人だっているわけです。ちなみに、この種の話で「じゃあ匿名なら情報漏洩にならないの」という問いがありますが、もちろん、特定できる形で書いてしまったらなりますよね。匿名だから何でも書けるものではなく、ただ、正体をぼやかすことができると言う点で実名より書ける幅が広いだけです。
つまり、匿名実名のそれぞれには得意とする分野が合って、そこで上手く住み分けることも、ボーダーレスにやることも可能です。一番気をつけなければならないのは他者(というのは書いている人同士というよりは、第三者)への配慮です。特に実名で実体験的なものを書く場合、その登場人物たちの顔がはっきり見えるわけですから、それが仁義に反しないのかどうかということを良く考える必要があると思います。