陰謀論の問題点

陰謀論の問題は単純で、常に背後に陰謀を抱えているために、否定的な見解を全て陰謀と片付けることが可能なことだ。曰く、データが嘘だ、曰く、あの証言は強制されている、曰く、物理的におかしい(かもしれないけど物証の決め手にかける)、曰く、お前らは政府の手先だ。
もちろん、陰謀論を否定する側にも問題がある。不完全なデータに対してありえない系の批判を加えたりすると得たりとばかりに「言い切れるわけがない、無理に否定しようとしている」とカウンターを喰らったりして。
陰謀論者をバカだと思って相手にする人もいるけれども、陰謀論者は一般的な無関心な市民より少し目端が利く。都合の良いデータで都合の良い推論を出来るくらいには頭が良いわけだ。むしろ、陰謀論批判者は偶然を信じるけど、陰謀論者は偶然を信じず、何か必ず理由があるだろうと言う前提で真実を追究しようとするから、少しずれた科学リテラシーを持った人にとっては陰謀論者の言うことの方が説得力があったりする。この辺、程度こそ違え、水伝の問題とそう変わりはない。
そして、最大の問題として、たまに(大抵は偶然だろうけど)事件の背景が少なからず陰謀に近かったりすることがあったりすることだ。事実と小説を混同していることもあるかもしれないけど、大抵の事実は小説より奇なわけで、そこに陰謀めいたことを見出すことが出来ることはかなりある。東西冷戦が続いていたときのスパイ小説の筋立ては、全くの荒唐無稽というわけでもあるまい。
普通に考えたらあるわけない、でも、もし、という懐疑が陰謀論者を支えているとしたら、それは一生直らない強迫観念かもしれない。単純に否定することは難しい。陰謀論に真実の欠片が少しでも混じっていたとき、残りの真実も隠されているだけだという思いは強化されるだろう。
否定されること、相手にされないことが強迫観念を育て、ついに真実にたどり着く。たとえそれが事実に反していたとしても。