我々は、PCオタクなのか、あるいは携帯は一般か

先日のエントリー、ケータイ世代の視野の狭さ - novtan別館には結構反響を頂きました。これはタイトル力なのかな。色々寄せられた中で、ものすごく感銘を受けたブクマコメントがあったので紹介したい。

2008年05月05日 casm あいつらの世代の一般人と俺たちの世代のオタクを比較したら、俺たちの世代のオタクの方が情報を多く得てます、俺たちの世代スゲー。と書いてある。

はてなブックマーク - ケータイ世代の視野の狭さ - novtan別館

おお、確かにそう書いてある。
確かに、僕らの学生の頃は、PCを使うと言うと一部のマニアの仕業でしかなかった。場合によってはオタクの。そういう意味では、本来携帯と比するべきなのはポケベルなのかも知れない。もっと時代を下ると…何にもないわけはないけどあまり思い浮かばない。僕はポケベル使ってなかったというか、丁度ボーダーラインの時期だったからあんまり何もなかったかも。
しかしまあ、確かにそういう側面もあるんだけど、今や社会人のかなりの割合がPCを使わないと仕事が出来ない現状で、あえて携帯を使うかどうか、というところではあります。うちの親父なんかはPCに縁がない仕事の人ですがPCを使い始めてから競馬やったり海外のゴルフのリアルタイムボード見たり、クーポン拾ってきたりして、PCでできる事はPCで、携帯でしかできないようなことや外出先では携帯で、とちゃんと使い分けてますよ。もはや情報(というのは必ずしもニュースとか知識とかそういうことじゃないけど)を得るという点ではPCはオタクの使うものじゃない。うちの母親だってレシピ検索してたりするし。
もちろん、ブログを書いているような人たちはある程度詳しいというか、PCを使うことそのものに目が向いている部分があって、それはでもコミュニケーションが目的だったりします。うちの親だって別に携帯でも十分なところをあえてPCでやるのはやっぱりI/Fや解像度(この場合、精細度ではなく、字の大きさ…と情報のバランスかな)で勝るPCを使わない理由がないんですよね。一覧性の良さとかはやっぱり。
もう一つ思うのは、コンテンツに対して消費なのか消化なのかの違いもあるかもしれない。携帯ではてブとか読んでると、消費している感があるんだけど、PCで読むときは消化しようとしている気がする。これは単に僕の感覚に過ぎないけれども。
僕が前のエントリで言いたかったのは、視野の狭さというのは悪いことじゃなくて、それを選択することで別の視点を得たと言うことが大事なんじゃないかなってこと。携帯コミュニケーションが目的足りうるのは、そこにそれしかない(というとイマイチな言葉ですが)からなんだと思う。つまり、PCってのは昔から言われているけど、目的がないとタダの箱。インターネット端末としてのPCってのはあまり本質的な使い方ではないよね。今やそうとも言えなくなってきているのはアプリケーションがウェブに移行して行っているからだけど。選択肢がありすぎるというのはコミュニケーションツールとしてはあまり優秀じゃない。同じクラスタの中にいないとつながれないから。
携帯がコミュニケーションツールとして優れているのはその制限性にあって、最近書いたブラウザの話じゃないけど、ある程度統一された「できること」が決まっているから格差とか齟齬が起こりにくいんじゃないかな。
自由がゆえにコミュニケーションツールとしては制限されているPCと、制限があるがゆえにコミュニケーションツールとして優れている携帯。
PCが仕事のツール以上のものになりうるのは確かなんだけど、あえてPCに行くかどうかは、やっぱり目的で決まってきちゃうんだろうね。