自由は人を制約する

先日のエントリに面白いコメントを貰ったので紹介するよ!

d346prt 2008/05/07 10:11
〜略〜
> 今のウェブベースのクラサバ回帰的な流れも
ちょっと無理やりですが、ケータイ世代の話しと絡めて考えてしまいました…
コモディティ化して行く上で仕方のない事かもしれませんが、自由度の少ない方への流れには、一抹の寂しさを感じます。
# 「俺たちの世代スゲー」で何が悪い!ヽ(`Д´メ)ノ

保証しません、は建前 - novtan別館

そう、PCなんて使い方の自由のためにあるような機械ですものね。しかーし、それはある種の人々を制約しているのです。それは、PCの使い方を自分で判断できない人たち。つまり、マニュアルどおりのやり方しか出来ない人々にとって、自由とは何をしていいかわからないから、逆に何もできないと言う最強の制約なのです!
まあ、ちょっと言い過ぎかもしれないけど、PCを使う人にも二種類いて、使っている人と、使わされている人なんじゃないかと思う。で、ビジネス系のサイトは主に使わされている人が対象になるので、制約をかけることで出来ることを明確化して、そのことにより何をして良いかわからないという最強の制約を回避しているわけです。もちろん、この制約はコストをかければかけるほど外すことのできる量が増えていくんだけど、もともとのターゲットに対してはある一つの制約をかければ十分だし、マニュアルを増やすことが「どれを見れば良いかわからない」「間違えたところを見てたせいで操作を間違えた」という別のトラブルを生んでしまう可能性があるわけです。新しい制約が強力であればあるほど前の制約を無効化する力も強く働きます。
ウェブ端末としてのPCの究極的な状態は、「やりたいことしかできない」だと思うんだけど、それはもはや家電だよね。PCが家電化してく流れはあるけれども、PCがPC足りえる理由の部分は堅持していきたいですね。ま、勝手に守られそうだけど。