属性と手段

手段をもって属性を非難するのはおかしいんじゃないかと思うんだけどね。

「オタクである」というのは,パンツを撮ったり撮られたりするための手段ではないから,「オタクである」ということを規制しても仕方がないですね。「オタク」であれば,パンツを撮ったり撮られたりしても摘発される危険が軽減されるということもありませんし。
これに対し,ネット利用者に関していえば「匿名である」というのは,誹謗中傷を行うための手段としてしばしば用いられているわけです。この場合に,「誹謗中傷」を行うために手段である「匿名性」をネット利用者から排除することは,「誹謗中傷」を減少させる有力な方法となり得ます。

オタクであるということは手段ではない: la_causette

つまり、匿名の属性的要素はどうでもよくて、手段としての匿名が問題だ、ということですよね。それはわからんでもない。でも、誹謗中傷を減少させる効果に対して、匿名を失う損失は取るに足らないって言いたいんですよね。匿名をつかう人のメンタリティーなどろくなものではないと。
確かに、匿名の殻を被らないと誹謗中傷できない人はいるかもしれません。でも、そのことによって匿名自体を否定することがあまり筋が良くないだろうことは、小倉先生の以下のたとえ話の誤謬からしても明らかです。

が,しかし,それを貫くとなると,個人が匿名で青酸カリを購入し保有することすら規制できなくなるわけで,それが殺人等に用いられたときにはそれを用いた犯人が摘発された場合には死刑を含む重い制裁が下されるということがあるにせよ,非常に危険な社会になってしまうような気がします。

オタクであるということは手段ではない: la_causette

青酸カリを購入する際に身元を明らかにするが必要だと言うことになぞらえるのであれば、誹謗中傷をするときには身元を明らかにすればよいわけ(それでなくても身元は記録されているわけですが)で、風邪薬を買うときに態々身元を明らかにすることを義務づけるのは過剰な規制ですよね。もちろん睡眠薬が規制されたり、入浴剤が店頭から撤去されるようなこともあるわけではありますが。
手段として使われるツールも、常に規制されるわけではありません。包丁は殺人にも使えますけど、匿名で買えますし。殺人を包丁で行う事件が多発したから包丁を規制しようなんて誰も言わないし。
ほら、たとえ話は良くないからやめましょう。僕もね。

ネット上で匿名でやりたい放題のことをしていたい,自分がそんな言動を行っていると現実社会の知り合いに知られたら恥ずかしい言動を思う存分行っていたいというだけのために,そのような危険な社会を将来することもやむなしというのも如何なものかなあと思います。

オタクであるということは手段ではない: la_causette

言動の問題じゃないんだけどなあ。知り合いに知られたら恥ずかしいんじゃなくて、別に知られても構わないけど知られると偏見の目で見られて不都合があるからとかそういうのはこちら側のメンタリティーの問題ではないので解決しづらいですよね。特定政党を支持しているのが知られるだけで出世できなくなる会社だってあるわけで、それを正すコスト(下手をすれば人生を費やすようなもの)を負担しなくても発言できる環境ってのはあってもいいと思うんだけど。
いずれにしても、危険な社会を将来(招来?)することをやむなしとしている人なんていないと思うんでそこを疑問に思われても困っちゃう。