愛と友情のコメントスクラム 〜 匿名が力を得たとき

スクラムってラグビー転じてから転じて一致団結して頑張ろう的なポジティブな意味を含有しているものだと思うんだけど、一部の向きでは違うようですね。
先日も書いたけど、ある立場や条件から見て的外れな発言が、別の立場や条件から見ると必ずしもそうではない、ということはよくありますし、それを政治的闘争と捉えると、激しい対立になることも当たり前です。だから、ある特定の立場からなる人々がスクラムを組んで一致団結して敵に当たる、ということも極普通のことです。何しろ問題意識を共有している人々の集まりですから、一方的な立場からの意見に見えてくることは仕方ありません。
でもそういうのはコメント欄に放火しているわけでもなんでもないんですよね。ウェブというグランドに出て「さあこい!」って言ったらこっちは一人なのに相手チームにだけいっぱい来ちゃったみたいな。でも参加者数はルールになっていないわけで。ましてや陰謀渦巻くどう考えても禍々しい空気が漂うところにわざわざね。思いがけない嵐にあって人里はなれた山中の洋館に避難せざるをえないホラー映画の導入のような。
というと、議論空間がネガティブになっているように見えるな。これじゃあ印象操作ですw
実際の議論では殺伐としているところもあれば和気藹々としているところもあります。例えば医療系のムードで言うと、ほぼ諦め気味な空気のなかで、それでもできるだけのことをしようというようになっているのが見て取れます。別に空気読まない発言をしてはいけないと言うことはありませんけれども、それが原因で大量のコメントが来ること自体は当たり前で、そのこと自体はなんの集団圧力でもありません。別に「こういうことを言う奴には受診させない」とか「家に火をつけてやる」と言われるわけではなく、医療を取り巻く現状を懇々と諭されるだけですから。
取り巻く環境からなる連帯意識が、政治的な、あるいは人間関係的なしがらみを離れて表出しやすいのもウェブの特徴かと思います。これは匿名だと特に起こりやすい。で、連帯意識そのものは悪いことではないし、集団で「罵倒や誹謗中傷」をしなければ、問題になることでもありませんよね。
ただ、連帯意識が高じて集団化したときに、それがある種のパワーを持つという認識を持ってしまったとき、その力をどう発揮するかは集団のモラルに属すところかも知れません。ネガティブな圧力集団になる可能性も十分ありますから、内部の統制も大事ですが、力を持ったことが実感できるようなレベルに達したら、匿名を止めて本当の社会に対する力を発揮していくか、あるいは、匿名のまま、力を発揮しすぎないように抑えるようにすることが必要かも知れません。
匿名は(色々な意味で)力の弱い個人や小集団が強い力に踏み潰されないようにする手段であると思いますが、匿名集団のままそれに対抗する力をもって、それを発揮することは、これまで多く指摘されてきた問題点をあらわにします。力を持ってしまったとき、それをどう扱うかをちゃんと考えなくてはならないでしょう。
もっとも、対外的には集団に見えても内部的にはただの個人個人による愛と友情のコメントスクラムだったりするので、そのへん上手くいくかどうか。