文化の需要と供給

もう一回書いておこう。
需要がない文化活動は、それが最低限維持される範囲で存在すればよいんじゃないかな。例えば、オーケストラを誰も聴かないのであれば、一個だけあればよいでしょう。でも、西洋音楽を志す人の為に受け皿があるべきだし、そうやって作ったオーケストラを低料金で市民に提供することが税金の使い道として妥当、と市民が考えるのであれば、支援すればよいと思う。
芸術の名の下に無条件に金を出すのはおかしい。けれども、同様に、売れなければのたれ死ね、というのもおかしい。芸術とはそういうものを超越したところにあって、売れるものと売れないものがあるのはたまたまかも知れないし、その価値を体現しているかもしれない。そんなところでは決まらない。
でも文化は芸術そのものではないよね。

タイラーの指摘に従えば、茶道や華道が単独で文化を構成すると言うよりも、茶道が発達する社会的背景、慣習、宗教などの複合的全体が文化であると定義付けることができる

文化 - Wikipedia

土台を整理するのに不要なもの、過剰なものを排除する、というのはそれほどおかしい考えではないと思う。