著作権と消費の適切な関係は「ダブル定額」かも

時代に合わなくなったから著作権法を改正、という考え方は正しいのだけど、権利者側の権利を規定しようという法律だから、消費者側に一方的に有利な改正をしてもいいことばかりではないというのは意識しておきたいところです。
デジタルメディアの最たるものはソフトウェア、それもアプリケーションなんだろうけれども、CPUのタイムシェアリングからPCの時代を得て、またサーバー側アプリケーションの時代が来ているのはここ最近のSaaSの流行を見てもほぼ間違いないところです。ソフトウェアは元々メディアそのものがソフトそのものの全面的な所有を意味していなくて、あくまで利用権に付随したものという考え方があります。つまり、ソフトに払うお金は基本的には利用料、それも場合によっては期間限定。
ただ、回数制限のある箱ものというのはあまりありません。無制限に使える代わりに高い。アドビのソフトとかオフィス(一時期安かったのに最近と来たら…)なんかはヘビーに使う人はよいのですが、たまにしか使わない、でも必要、という人にとってはコストパフォーマンスが低すぎる。

また,チャンネルを増やすかのようにCPUパワーやソフトウエアを増やすことができる。例えば,米マイクロソフトのOfficeや米アドビのイラストレータを1カ月間だけ使いたいとか,1回だけ使いたいといったニーズに応える。そのとき,CPUパワーが足りなければそれも使える。

もはやPCはいらない,クラウド上の機能を使うだけ | 日経 xTECH(クロステック)

回線の問題がネックになるのがインターネットシンクライアントの問題ではありますが、こういった試みは今後どんどん増えていくように思えます。ま、正直イラストレータSaaS版が出ればいらなさそうではありますが…
でもって、この考え方は普通の著作物にも適用できないかな?
今のコンテンツ所有では、CDアルバムを買うとそのCDの中身をどう扱おうか自由でありますが、ダビング10みたいな概念ではそうは行かない。でも実際にCDアルバムの中身をヘビーに再生するかというと、つまらなくて一度聞いて終わり、ということもありますよね。3000円で10曲入りのCDを1回再生すると一曲あたり300円。100回再生すると3円です。前者は高いし損した気分。ある意味ギャンブルみたいなものです。
これはパッケージがなくなったダウンロード販売になろうが同じこと。まことしやかに言われていた「俺たちは視聴の為にダウンロードするんだ!欲しくなったら買うんだ!」というダウンローダーの弁を正当化しているのは、ようは買っちゃったら実はいらないものでも取り返しがつかないからという現実ですよね。もっとも、服とか食い物とかでも同じなんだけど。
コピーフリーを守ること、ってのはいわゆるバックアップの問題や、DRM破綻の問題とかがあってそれなりに正しいとは思うんだけど、どうもメディア的概念の枠内に囚われているような気がしてきた今日この頃です。つまり、自分にとって価値のないものまでも、コピーする権利を守るためにトータルで割高であることを許容しているような。逆説的にだけど、これはコンテンツ業界にとっても悪い話ではなくて、ダビング10みたいなコントロールをすることによって、消費者は本当に必要なものしか買わなくなってしまうかも知れない。
ただ、それよりも、そろそろメディアの頚木から解き放たれるべきなんじゃないかと思う。ただ、一曲あたりのコンテンツ使用料という計算をしてしまうと、なんでもかんでも買ってくれるようなありがたい消費者が大半だといいけど、みんなが慎重になってしまう可能性もある。そこで、「ダブル定額」ですよ。再生数に応じて課金されて、最大でも定額以上いかない、みたいな。ダウンロードし放題的サービスではやってるよね。これをコンテンツ一個一個の単位に落とし込んでいくのは難しいし管理がめんどくさいけど、そういう方向の考え方を上手く応用してなんとかできないものかな。
まあ、でも本当につまらないコンテンツで時間を消費してしまったとき、メディアを壁に投げつけるような、怒りの発散手段がなくなっちゃうのは危険かもしれないけどねww