既存メディアはいつまで「生の声」を編集することが正義だと思っているんだろうか

いやね、素人さんにわかりやすくとか、過度に政治色が強くならないようにとか、そういう理由があって「編集を入れる」ということ自体はやっていいと思うんですよ。でもさ、言ってない事を言った様に見せかけたりとか無駄に政治色があるように見せかけたりとか、言葉だけを繋げて全然違う意図に聞こえるようにしたりとかする、取材された当人の意図と全く違うことを放送することをいつまでも続けているのはどうかと思うんだ。
インターネットがカウンターメディアと言われる一つの要因に、こういう「言ってない事を言ったようにされた」当事者が全世界に「あれは違う」と発信することができるようになった点があると思う。だから、過度に編集して発言の意図をすり替えるような行為はもはや放送局にとって「リスク」なんだよね。あそこの番組は嘘ばっかりだ、とか思われてもアレだし、当人から抗議が来て、嘘吐きか理解できないほどのバカか面白くするならデタラメでも構わないとかそういう風に見られちゃったりするわけだ。抗議がエスカレートして広告主を巻き込み始めちゃったりね。
もちろん、広告主の都合の悪い発言なんかを編集するのはある意味仕方がないと思うんだけど。そういえば奥田元経団連会長がテレビの厚労省叩きに対して報復を意図しているような発言をしてたね。放送局なんて脆弱だからこういう権力を勘違いしたような人間がトップに立っている日本ったらね。

番組の冒頭でもアナウンサーが、“ドラマさながら、料亭で産科医をスカウトする様子をMBSのカメラが捉えました”、と言う始末です。マスコミはいったい何を考えているのでしょうか? 日頃お世話になっている先生にお礼を言うため、また、私たちの活動に興味を持たれている先生との交流のため、そして以前私たちのグループに所属していた先生との情報交換のために2ヶ月前から予定していた会合だったのです。それをMBSがどうしても取材したいというので先生方に顔出しNGとの条件で撮影を了解して頂いたのです。それがこの結果です。呆れてしまい、取材の担当者にメールで抗議しましたが、“上司が勝手にシナリオを書き換えた”、との返答でした。

http://sanhujinkai.blog.ocn.ne.jp/blog/2008/11/post_6ac1.html

こんな風に番組を作っても、それが真実どころか捏造であることなんてすぐわかっちゃう。サンゴに落書き自作自演であれだけ問題になる業界のはずなのに、なんでテレビはこんなので許されると思っているのか。

また、番組のMC(後藤さん?)が最後に、“今回の医師派遣事業は応急処置に過ぎません。問題を解決するには財源問題を解決する必要があります。”、とおっしゃいましたが、これを聞いて、“MBSの担当者は何も分かっていなかったんだな”、と思いました。このブログで何度も書いているように、私は取材中に何度も、“医師派遣事業は産科医の待遇改善のための一手段に過ぎません。そして、産科医の待遇改善も産科医療崩壊を食い止めるための手段に過ぎないのです。”と話しました。また、“問題を根本的に解決するためには医療費の引き上げが絶対必要です。”、と何度も話しました。しかし、今回の報道は私の思いが微塵も感じられない内容になっていました。

http://sanhujinkai.blog.ocn.ne.jp/blog/2008/11/post_6ac1.html

まあ何度いっても医者の給料が高すぎるのが全ての元凶だと思うような人がいる限り、こういう番組の作り方は続くのでしょう。真実ではなく、視聴者が見たいものを見せるのがテレビ番組の使命になってしまっている以上、厳しい真実を突きつけてそっぽを向かれるより、なんの解決にもならなくても「そうだそうだ」と視聴者が溜飲を下げたり、「現状って酷いよね〜」とランチの会話のネタに出来る程度の踏み込みが出来ればよいのです。
例えばテレビ局は報道がエリートみたいなイメージがありますね。実際僕がバイトしていた某ラジオ局では報道の人間は一段偉そうでした。しかし、バラエティー番組は得ることがなくても損はしない(時間を損したり、某あるあるみたいな捏造ニセ科学バラエティーがあったりするけど)けれど、事実を報道しているはずの報道番組で捏造を繰り返すようではその偉そうにする礎である「ジャーナリストの矜持」はどこに行ったんだという感じですよね。
わかりやすくするための演出ならばいいのですよ。実際にはやってないことを「イメージ」として再現することもそれをあたかも本当のように演出するのも、報道すべきことの芯がずれていなければ良いと思うのです。でも、このような、取材対象者の真摯な思いを踏みにじるような方向付けを行うようでは価値がありません。