利権とセクショナリズムが巨大システムをダメにする

巨大システムってのは年間何十億も運営コストがかかっていたりします。当然ながら、今それを握っている人たちは離したくない。そうすると、一切をリプレイスするはずの新システムの開発にもその手は伸びてきます。
旧態依然としたシステムは、事業部や部課ごとの分厚い壁に守られる一方で、密接に関連するモノ同士もお互いのことは公開インタフェース以外では知りもしないで自分の殻に閉じこもる。新システムなんて生まれたら自分たちはお払い箱なんだから協力もしない。
でも何で新システムが必要なのかっていうと、互いが自分の城を守ろうとして防衛的なシステム作りをしていったことの結果なんだよね。それを知っているから作ってきた人たちは喚き散らしている。自分たちが引退するまでは保つだろうと思いながら。
これを打開するのは難しい。例えばこういうのはトップダウンで牽引力のある、旧体制に縛られない組織で推進して旧弊を打ち破らなくては、という話になるんだけど、そもそもそのトップが事業部単位の採算はどうでもよくても全体のパイを減らしたくなければ旧弊を打ち砕くことを選択しなかったりするんだよね。
巨大システムは本体とシステム子会社が協力して作ってたりする。システム子会社の売上が大幅に落ちる対応はしづらいし、資本が入ったベンダーを路頭に迷わせることも難しい。相互扶助が悪い方にしか働かない。
セクショナリズムってのは無駄を増やす。課ごとに見積もりしたら重複する部分だけで全体の6割を占めるなんてのはよくある。もちろん、相互の関係が把握できる人なんて誰もいないからどこは間引けるかなんてわからない。システム開発費はシステム屋としての正常な感覚の二倍三倍は当たり前にかかる。狂ってる。
人を食わせるためのシステムを作るってのは本末転倒ではあります。だけど仕方がない部分であるかも知れません。
ただ、利権とセクショナリズムからの自由を目指した新システムが利権とセクショナリズムに食い尽くされるのを見るのは忍びない。作ることのモチベーションも上がらないよね、技術者としては。