労働者が保護されるようになったのは比較的最近だ。奴隷が解放されたのも。

江戸時代に戻れ、という話じゃないけどさ。

したがって「終身雇用は日本の文化や伝統に根ざしたものだ」という御手洗富士夫氏の主張は、論理的にも歴史的にも根拠がない。長期雇用は、垂直統合という20世紀に固有の企業統治システムの副産物にすぎない。

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/78d36ac0e6fa382a3cdfa1e4cfd43669

つーのは根拠がないかもしれないけど、だから昔が良かったわけでもあるまい。昔こうだったからどうじゃなくて、単に現状に問題がある、というだけじゃないといかんわけで。別に池田先生は「昔は良かった」と主張したいわけではないのだろうから、そういう風に読めちゃう書き方をしないほうがよいかなと思う。
終身雇用は高成長を前提とした制度だけど、成長が鈍ったときに、次善の策として、正社員に固執する人のコストを減らすための成果主義が導入された。でも成果主義の失敗により、若い次代を担う人材が逃げ出してますます高齢化無能化が起きて、という悪循環の構図。終身雇用をやめればいいのに、という話はあると思う。とはいえ、会社という組織が雇用を維持する責任を持たない場合、余った人を抱える仕掛けは必要だよね。利益は3倍になったけど税金が10倍になった、みたいなバランスにならないようにしなければならないんだけど、セーフティーネットを維持するためのコストを企業が今までよりも多く払わなければならないというあたりを加味した意見はあまり見ない気がする。
社会はまだうまくいってないけど、出来るだけ個々の暮らしが安定するように、安定するようにと進化して行っているはずなんだから、少なくとも、国民総中流化の社会を生きてきた人にそこからの後退は社会の敗北と受け止められるかもしれない。もっともっと痛みを共有しないとドラスティックな変化は受け入れられないかもしれないね。最善と思われる手は大きな変化を伴うし、失敗するかもしれないし。