起業家としてのホリエモンの感覚

世間一般、といってよいのかはわからないので個人的な感覚では、とするけど、普通、同義的な面も含めて、利益の水準は適正であるべきかな、と思う。もちろん、何を持って適正とするかはいろんな基準があるだろう。化粧品の値段なんて原価からするとぼったくりみたいなものらしいけど、それでみんなが認めているならよいのだろう。
でも、結果、6000万で売れる不動産を1円で引き取った、というのは誰がどう見ても適正ではないんでないかなあ。

ところで、今日は刑事裁判の打ち合わせをしてきた。上告審はテーマを絞って一点突破をしないといけない。日本最強の刑事弁護チームを組織できたと思っているが、彼らと打ち合わせをしていて、やはり逮捕されたことに対して、不当だったという思いを新たにした。特に強制捜査の容疑となった、マネーライフの買収に絡む件は、DCF法での企業価値評価手法そのものを否定しかねない重大な判断ミスを1審、2審ではしている。まるで純資産価格以外で企業買収をするな、といわんばかりの内容になっている。また、短期に企業を転売し、利益を上げる行為そのものも否定しているとしか思えない判決である。

大学時代にしていたバイト列伝と、私の刑事裁判について。 | 堀江貴文オフィシャルブログ「六本木で働いていた元社長のアメブロ」

まあ、このくだりはわからんでもない。個人的には、短期の企業転売はあまりよろしくはないと思っている。それが長期的な(優良な資産を無理に現金化するとか、将来有望な育てている最中の子会社を優秀な出向中の人材ごと売り払うとかする)元の企業の価値を損なうことで上げた一時的な会社の評価で売り抜ける、というように見えることが多いから。事実と反していたらすみません。
とはいえ、会社の価値を高めて売るなり、投資をして支援した結果を回収するのはもちろん、よいことではある。しかし。

これは安く買って高く売るという商売の基本を根底から揺るがすような事態である。かんぽの宿問題でも、1円で売却された物件が半年足らずで6000万円で転売されたことが問題視されていたが、日本郵政に6000万円で買ってくれる客を見つける能力がなかっただけの話であり、その客を見つけてきた転売業者が非難される問題ではないはずだ。転売業者はその情報力で収益を得ているわけである。それが商売の種だ。それが否定されたら不動産業者は成り立たないだろう。

大学時代にしていたバイト列伝と、私の刑事裁判について。 | 堀江貴文オフィシャルブログ「六本木で働いていた元社長のアメブロ」

これはないよな。これじゃあ原野商法の逆だよ。原野商法を否定されたら不動産業者は成り立たない、と言っているのと等しいくらい、無理なことを言っているように聞こえる。
もともとの帳簿上の資産価値はしらないけど、原価にせよ、公示価格にせよ、1円ってことはないでしょう。1円のものに付加価値をつけた結果、6000万ならともかく。
価格は1円だけど取得して、売る、ということに対する経費が3000万くらいかかってるんですよ、ということならわからなくもない。にしても、6000万で売れるものを1円で売るってのはないよなあ。日本郵政の無能を責めるべき、以上の何かはあると思う。
われわれ一般人(ここでは起業していない人、くらいの意)は原野をつかむのが怖いので不動産業者を頼む。これは、それを生業にしている人ならば、程度の差はアレある程度適切な水準での取引をしているだろう、という社会のルールをあてにしているのです。だから、不当な水準の取引をしても責められないのでなければ業者が成り立たない、なんて話になると消費者は業者を信用できなくなってしまう。
ホリエモンは企業家としてはとりあえず成功したわけだけど、きっと、もともと安いものの価値を高めたり、本来価値があるものが不当に(ここでは不遇くらいの意)安く売り出されているのを見つけて再評価されるようにする、ということがうまかったのかな。古本屋のセドリみたいな。それが売り手の評価力のなさによるものであればまあ仕方ないし。
ミスの場合はどうだろう。「ご亭主、その値札、間違ってますよ」とわざわざ教えてあげる必要はないかもしれない。気づかなければ、黙って買って店を出ればよい。
でも、店員と共謀して、値札の0を一個消した金額で取引したら、詐欺だ。
価値が認められていないもの、値札が間違っているものを探してきて売っていく、という方向性は、一つの起業家としての要素なんだろう。でも、ルール無用のブッコ抜きを行われると、いろんな人が困る。上記の文章を読んで、もしホリエモンが法的には無罪だったとしても、その感覚は世に放っておくには危険な気がしてしまいました。