説得されること、あるいは価値観が変わること

無駄って思いっきり書いておきながら、だけど。
Webで誰かを説得しようという試みはたいてい無駄 - novtan別館では「Webで」って言っちゃっているけど、まあWebだからどうということはないよね。しかし、本当に説得は出来ないんだろうか。というより、どうやって考え方や価値観は変わりうるんだろうか。
ウェブで見たり聞いたり議論したことでよかったと思っているのは、わりと広いジャンルについて、自分で考えるための知識や考え方を知ったことかな。本を読むことと似ているけれども、違う考え方を持つ人たちが寄り集まってわいがややっていることはとてもありがたい。
説得された覚えはないけれど今の僕の価値観は10年前の僕の価値観とはだいぶ異なっている。特に、偏見という点で。知らないことによって起きる偏見は知ることによってなくなることが多いはず。
残念なのは、「知らないことは罪」的な勢いで相手を悪い悪いと責め立てるようなことがあるところ。価値観に対して他人が罪悪感を煽ろうとしたってそれはその人を否定しているのに等しいから反発を食らうだけだと思う。ましてや思想は個人の自由というお題目を掲げながらそれをやってしまうのは。
議論で人を説得するのは難しいかもしれないけれど、なにがしかの妥協点を見いだすことは出来るだろうし、色々なことを知ることができる。ただ、「事実」を知ることは難しい。今そこにある問題を解決する手段をウェブに求めるのはお門違いな部分はあるかもしれない。
それでも、10年、100年かけてでも、世の中を良くしたい、あるいはこういうことがあるのを知らしめたい、という何かがある人は説得や情報伝達を試みてもよいのではないかと思う。大事なのはその場で受け入れてもらうことではなく、考え方を知り、そして考えてもらうことだと思うから。