医療ネグレクトと殺人の境目

これはほんとなら酷い事例。

しかし、子どもは翌日に死亡(6M3D)。死因は不審死。司法解剖したかどうかは分かりません。情報把握から2か月弱が経過していました。この事例の場合は、ホメオパシー療法のレメディにトリカブトを薄めて混入して飲ませていたようです。“毒をもって毒を制す”という考えで、吐くのは良いことと考えていたと言っていたそうです。

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もちろん、レメディを与えたことではなく、助産師から指導を受けて「ホメオパシーのみ」で治療にあたっていること。さすがにここで言及されている「トリカブトを薄めて」というのは通常の「1分子も元の成分を含まないレベルの希釈」であるだろうから。しかし、「毒をもって毒を制す」って言い方になるのはホメオパシーをちゃんと理解していないように思えます。うん、ちゃんとってなんだろうw

自然療法とか、もっともらしいものを信じてしまうのは、人工物に対する不信感や、過去の事故事例のせいなんでしょうけれども、そもそも自然のままでいることの危険や過去の事例について、そういう人たちはさっぱり気にも留めないのが不思議で仕方がありません。昔ながらのやり方は、それこそおまじない一つとっても事例の積み重ねによって出来てきたもので、因果関係があるかどうかはさておき、害があるものは結果として排除されてきたと思うんですよね。あるいは、害を気にも留めない。人の命なんてかつては今より大分軽かったのですから。
ところが、ようやく捨てたはずの過去に立ち戻って、信念に基づき新しい医療を拒否する。そのことによって、他者の救われたはずの命をあえて見殺しにしたのであれば、それはほとんどが殺人です。子供は親の完全なる所有物ではない以上、信念によって殺されてはならない。
そして、その信念を真実であり、自然であり、正義であると誤解させ、植えつけている人々もその殺人の加担者であることを認識すべきなんです。
大半のホメオパスにはきっとそうした悪意はないのでしょう。医療ネグレクトに走ってしまった親が思っているのと同じくらいはホメオパシーのことを信じている。だから、彼らにとっては医療ネグレクトこそが医療。であるならば、何が正義なのかは結果でしか表せない。だから、結果を「自然に生きるには弱く生まれてしまった」みたいな言葉で片付けるようなまねはさせてはいけない。残念なことに、標準医療でも人は死にます。でも、かたや死んだ事例がネガティブに受け止められ、かたや、(実際には最初から)何事もなかったことがポジティブに受け止められてしまいがちです。
だからこそ、このような事例がきちんと報告され、集計されていくことが大事なんじゃないかなあ。

この事例はマスコミに発表されていません。

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今後こうした事例が起きると報道されるであろう、ということが、先日の朝日新聞の報道および日本学術会議の意見表明の最大の効果であることを願いたい。