ある実験結果に対する考察

どうやら、ある実験が行われたようです。

昨日、ツイッター上で、ある実験を行った。

http://ameblo.jp/utsunekotei/entry-10649856937.html

かなり使い古された、自体の収拾がつかなくなったときに発せられる決め台詞ベスト3に堂々ランクインする、「実験」(ちなみに残りは「釣りでした」「酔ってました」)、平たく言うとあと釣り宣言が行われたようです。

推薦された看護師に早速、連絡をしてみた。だが、診察中とのことで、こちらの連絡先を教えて、
連絡を待っていたが、一向に電話はこない。
〜中略〜
そのことについて、「取材を断るにしても、待たせるだけ待たせたのだから、本人がきちんと断る理由を言うべきではないか。そうした常識すらないから、看護師は医師の性のはけ口としてしかみられないのではないか。せいぜい医師の性処理でもしていなさい」というツイートをした。

まず、ここには巧妙な罠があります。看護師ということは、性別はこの時点では不詳。すなわち、われわれが「看護師」「医師の性のはけ口」と言う言葉を耳にした際に、ついつい性差別を行っていることをあぶりだそうというのです。

ここには、巧妙なトラッブ(罠)が仕掛けられている。
この文面を読むと、自分でも「看護師を侮蔑した言い方だな」と思う。実際、記事ではこんなことは決して書かない。書いても、編集者が削るのは当然だ。
〜中略〜
その報道を見る限り、その医師は別の女性と結婚しており、その看護師はまさに「性のはけ口」で、テレビの逮捕前に収録した医師の談話を見ていたら「(そうした性的な関係の)看護師は何人もいる」と豪語している。この医師が特別、看護師をたぶらかすのに長けていたわけではない。日頃から看護師の身の上話を聞く機会が多い私としては、過去に医師からもてあそばれるようにして、結局はセックスをするだけしたら、捨てられた、という話を何人からも聞いていた。特に看護学生時代や新人時代に狙われるらしい。病院という閉鎖空間、医師を頂点としてヒエラルキー、そして不規則な勤務形態で、他の男性と知り合う機会が少ないなど、医師と看護師が性的な関係に陥る背景は揃っている。

あれ、違った。まずよくわかんないのが、このツイートが誰向けのものなのか。医師でも看護師でもない人にあてているのであれば、その人たちが看護師を「医師の性のはけ口」と見ていて、それは看護師に責任がある、という風に読めるし、看護師に向けているのであれば、お前らは常識に欠けるから性のはけ口になるんだ、としていて、かつそれはどちらも一般論として成り立つような口ぶりです。

こうした事実を知っていたので、「医師の性処理」として看護師が使い捨てられていることは、由々しきことだと、看護師の「拒絶する姿勢」を期待するのだが、看護師は所謂「ナイチンゲール精神」が災いして、奉仕的な心性にならなければいけないと教育されている。

実際には少数の「医師の性処理」として使われる看護師がいたとしても、患者を看護するという本来の職務をしていないわけではないだろう。
とまあ、看護師の実態がどうあるか、というのが延々と語られるのはまあよいです。実験とは関係ないもんね。多少背景ではあるようですが。というわけで、看護師は医師の性の捌け口になりやすい、という構造上の問題(という認識は当人もあるようですが)を元に看護師の一般の人格を侮辱する、という実験と言うにはあまりに低劣な感情の発露を行った結果、こうなりました。

ところが、実際にツイートしてみると、意外な展開になった。
看護師以外の男性・女性から次々と批判、というより、非難のツイートが連続したのである。それは当然だろう。看護師の職業ばかりでなく、人格も否定するような言葉が書かれているのだから、憤りを感じるのも無理はない。

無理がないなら意外でもないですね〜♪

だが、それは看護師がしてくるだろうと予想していたのに対して、まったく関係ない、第三者が私の人間性、倫理性、そして素人がよく口にすることだが、ジャーナリストという言葉を商売にしている者が、こうした侮蔑的な考え方を書いて、よく看護師の取材ができるな、お前の書く記事など、読む価値がない、お前は頭が悪い、人間として最低である、ジャーナリストの恥だから辞めてしまえ、等々の痛烈というか、滅茶苦茶な感情的ツイートが浴びせられた。

実験成功!よく釣れました!

あたかも、そうしたツイートを書いている人物は良識がある、正義の味方、みたいな感覚で、私は看護師を侮辱した反社会的存在という図式がすっかり出来上がってしまった。

実際には、批判者に良識があるかどうかは問われず、ただ、酷い侮辱をするジャーナリスト、という評価が残るだけですが、まあ、批判者心理としては、「お前よりはマシ」回路が作動していることは確かでしょう。

それなら、もっと日常的に看護師の抱えている労働環境などに関心を持ってもらいたいものだが、そうしたことは一切していないにもかかわらず、「性のはけ口」とはなんだ、という一点張りで、私はまさに犯罪者の如く、断罪されていった。

関心を持つくらいなら看護師を侮辱する必要はないと思います。とはいっても、このように看護師を下に見る人が多いからそういう実態は生まれるんだろうなあ、という印象を与えることには成功したと思います。つまり、医師もついでに侮辱しているし、ジャーナリストって最低だなあって。

ひとつは、いかに現在、流布されているマスコミ情報というのが、上品なベールを被って、当たり障りがないように加工され、その分、本質の問題にまで達していないか、ということだ。本当の病巣を知らないから、私が指摘するような現実はあり得ない、と教科書的な倫理観を振りかざして否定する。

もう一度ツイートを見てみよう。「そうした常識すらないから、看護師は医師の性のはけ口としてしかみられない」
これって「いじめっこ(医師)にいじめられるのはいじめられるほう(看護師)が悪い」
っていう所謂いじめの実態を知らない人が責任を被害者側に求める理屈とほぼ同じ構図です。なおかつ、医師という悪の存在と、医師に立ち向かうだけの知能・知性を持たない奴隷という構図を規定し、悪を断罪し、弱い子にその責任を押し付ける。さすが、よく取材しているジャーナリスト様が知っている現実ってのはすごいですね。

それから目を反らして見てこなかったという事実が浮き彫りになった。

もちろん、人に知りえることには限界があります。関心空間にないものについて「目をそらす」必要すらないんですが、強制的に見せられた「現実」とやらが単なる侮辱表現だったときに、その後ろの背景まで見ることはほぼ無理だし、侮辱を肯定すること自体は必要ありませんしね。つまり、「どうでもいいけど酷い侮辱だね。人としてどうなのそれ」で終わってしまうだけの話。

私たちは常に誰かを差別したり、侮蔑したりして生きている。それは社会的存在である限り、しょうがないのだ。その差別、侮蔑を自覚して、どうするかを考えるのが大切だと思っているが、どうもそうした差別、侮蔑に対してヒステリックに反応する人は、差別、侮蔑意識さえ排除すれば、自分は正しいと思いたいだけに過ぎないようにしか見えない。それでは問題は何も解決しない)。
この二つめの発見に、私はインターネットの情報が持つ有効性と危険性を同時に感じ取った。

このくだりは一面的には正しいのだけども、差別、侮蔑を自覚することと、それを発することは全然違う。僕たちが看護師の人を見て「あー医師の性の捌け口の人たちだ〜」って思うこともないし、ましてや指さすことも行わない。というか、お前の性差別についてどうするかをみんな考えているんじゃないか!と思ってしまいました。ジャーナリストが差別意識を持ったまま、看護師はみな医師の性の捌け口だ、という固定観念で取材を行うんじゃだめじゃね、という感想とともに。危険な情報を垂れ流しているのは誰か。差別の糸口になる「常識に欠ける看護師の実態」を垂れ流しているのは誰か。「常識に欠けるのだから医師の性の捌け口になっても仕方がない」という差別と侮蔑を表明しているのは誰か。

今回の件で、私が残念に思ったのは、私の(意図的だが)侮蔑発言を糾弾することはしても、そうした「性的隷属」が病院内で行われているのか、という驚きや、憤りがまったくなかったことだ。

差別発言ジャーナリストの言をどのくらい信用するべきか、ということがすでに問われ始めているということに気づけば、「事実」に対する驚きや憤りは出てくるわけがありません。

これが看護師に対する侮蔑を正す、というレベルならまだマイナーな段階だが、もっとヒートアップして、他国に攻め込んで、経済的な停滞を解消したいといった話になっても、もしかしたら同じような現象が起きるかもしれない。なにしろ、過去の日本が戦争をしてきたのは、そのすべてが国内の経済問題の解消が背景にあるのは歴史が示している。自分たちの暮らしが厳しくなれば、外国でその鬱憤を晴らしてしまえ、という論理が大勢を占めたら、憲法9条など、すぐに改悪されてしまうだろう。

ついに日本国民に対する侮蔑まで始めました。鬱憤を晴らすために戦争するような低劣な精神の持ち主であるようです、われわれ。

それはあくまで杞憂かもしれないが、少なくとも個人攻撃という点では、この全体主義的意見の統合は、明らかに人を殺してもやむなし、という殺人の社会的合意にまで容易に到達しうることを感じて、少々、末恐ろしくなったものだ。

その一線を越えるのはかなり大きなことだと思いますが、どうして容易に達すると思うのかがよくわかりません。もっとも、極端な侮蔑は個人の限界を超えることは容易だと思いますが。

り返すが、今回、私が書いたツイートはあくまで「実験としての侮蔑」である。それによって看護師が心を痛めたとしたら、申し訳ないと思うが、一方でこれくらい言わないと目が覚めないのではないか、という気持ちもまだ持っている。

ここに至るにいたってなお「看護師は非常識で性のはけ口になる精神を持っていて、目を覚まさなくてはならない」ということは持論として撤回されないようです。侮蔑したのは申し訳ないけど侮蔑は事実だからと。

最後に、「性のはけ口」などと書いた看護師たちに謝罪したい。それはあくまで実験のための方法であったが、私の本心はそうした現状を、看護師たち自らが変えていくことを期待している。

まだいうか。結局この人がジャーナリストとしてやろうとしていることは、「お前らが性の捌け口だっていう実態をあぶりだしてやったぜ、後は自分たちで何とかしろ」と言っているだけに過ぎなくて、それって事実を知らされてないといわれているわれわれとどう違うんだというか知っていてやらないだけたちが悪いといわれてもしょうがないじゃないですか。

あれ、実験って何が実験だったんだろう。釣りでもなんでもなく、自分は偏見に満ち溢れたジャーナリストですよと高らかに宣言しただけだったような…あれ…