ゲームから得られるのは物語?体験?それとも感動?

ゲームをやることによって得られるのはなんだろう。
子供の頃、RPGは物語を体験するものであって、主人公の成長を数字で実感しながら、ある意味、無駄な時間を消費しながら行うものだっだように思う。映画なら2時間で終わるものを100時間とかかけてみたりね。もちろん、ストーリーを体験することだけが目的ではなかった。謎解きとかね。でもそれは、物語に入り込む一つの手段だったのだと今にして思う。小説や映画なら、時間が経つと自動的に解決が提示される。ゲームでは、自分がやらないと何も起こらない。

ゲーム性の追求による一般人置いてけぼり問題は,ゲーマーのコア化,制作者のコア化で発生したのでしょう。
 自分も気を抜くと,ついうっかりゲームの中のご褒美を運じゃなくて実力に対して渡す仕組みとして考えてしまいがちです。

【島国大和】パチンコや麻雀,そしてソーシャルゲームからゲーム業界が学ぶべきこと - 4Gamer.net

ゲームの一番ゲームたる部分を考えると、本質はこうなんだろうな、と思うんだけど、じゃあ、今までRPGAVGから受け取ってきた物語、STGから受け取ってきた達成感をソーシャルゲームで得られるかと言うと…ちょっと違うよな、とは思うわけです。
ただ、ゲームは陳腐な言葉で言うと、ハイパーメディア化してしまったがゆえに、そのゲームたる部分と物語の部分は変に分化してしまって、ゲームという体験を通じてこそ語りえるような物語…あるいは世界観…を得にくくなってしまったようにも思います。
MMOとして位置づけられるものは、その点はある程度フォローしているようには思いますが、決して完結しないとすると維持するのが大変だし、逆に純粋なソーシャルゲームは世界観など必要ないし、いつでも捨てられる。
昔、人類史上最大最強のコンテンツ「おしゃべり」に対抗するのは容易ではない! - novtan別館というエントリを書いたけど、ここでいう「おしゃべり」の代替コンテンツがソーシャルゲームなんじゃないかな。
実際には、ライト層と言うのは「ゲーム」を体験していないのではないかとすら思ってしまいます。例えば、ブラウザ三国志で農民生活を送っている人はそれでも楽しいかもしれないけど、ゲームをしているのは戦争をしてシステム上の仕掛けを駆使して、駆け引きを楽しんでいる人だけなんじゃないかとか。それって麻雀や囲碁将棋が「ゲーム」であり、パチンコが「ゲーム」ではない、というような話かもしれないけど。そして、その両方を同じプラットフォームに乗せてしまっているソーシャルゲーム恐るべし、なんだろうな。

儲ける、維持する、というところで「おしゃべり」をやっているライト層を上手く使いながら、「ゲーム」ならではの体験を提供する。儲けないとやっていられない、という図式の中で、ゲームクリエーターに課せられているのはこのように難しい課題だけど、なんとか克服して至高のゲーム体験を提供してほしいものです。頑張れ。