石原慎太郎の差別発言を擁護しないと表現の自由は守れない

のだろうか。

表現の自由ってのはどこまで許されるの、というところが難しい中で、自らの価値観に合う物は自由であり、合わないものは制限されるべき、というのはもっとも愚劣な独裁者的判断であると思うんだけど、そういう人を為政者として抱く都の職員は自らの保身のために迎合しているのだろうか。それとも、本気で制限すべきと思っているだろうか。

後者であるならば、きっと人は官僚という立場で社会と言うシステムの歯車になってしまうと、人間の尊厳を失ってしまうんだね。