魔法少女まどか☆マギカ

久々に、アニメというものを見た。
軽くオタ文化圏に属しているだろう自分としても不思議ではあるけれども、これは以前のエントリにも書いたとおり映像メディアに対する苦手感のなせるものだとは思うけれども、とにかくアニメというものを見ない。
幼少の頃、ガンダムマクロスは見た。よいこの見るべきアニメとしての藤子アニメサザエさんまんが日本昔ばなしも見ていた。再放送ゾーンの古きよきアニメやルパン三世などもまあ見ていた。
この中では、ガンダムは異質だな。その後、ブームになってから、エヴァは見た。そんなものだ。
そんな僕が、ネットで話題の、というレベルで「魔法少女まどか☆マギカ」を見始めたのは、単にいわゆる萌えアニメを装ったダークファンタジーであったことが面白かったというだけではなくて、録画という習慣を持たない僕が深夜アニメを深夜アニメとしてではなく、ニコニコ動画としてみることができたというのは大きいのかもしれない。もっとも、その理由の一つである、時間軸を自分で制御できるという生放送ではありえない利点について、ことこのアニメについては全く必要がなかったのであるから、面白い。

というわけで、とてもアニメに対する視野が狭い自分として、単なる感想以上のものしか書けないのだけれども、ネタバレ全開で、感じたことを書き留めておきたい。
タイトルからしてある意味ミスリードであるこの作品が多くを引き込んだ理由の一つは、謎解き的な要素だろう。ともすれば、ありきたりなループものになりがちなストーリーが、裏の主人公とも言える暁美ほむらに(視聴者にとっては)不可解な行動を取らせる演出に集約されている。これによって巻き起こる、視聴者の推理とそれの答え明かされる10話のカタルシス。随所に散りばめられたほむらの不可解な行動の一つ一つに、どれだけの意味があったか。
久々に映像を見てよかったな、と思ったのは「文字」ではなく「言葉」で表現されたそれが、素直に感情を刺激したこと。声優ってすごいね。


ほむらの行動、そしてそこにいたるまでの演出の意味は10話において全てと言っていいほど明かされつくしてしまった。残るは、そこに残された「未来」への答え。
正直言って、QBさんの言うことはよくわからない。筋が通っているようで筋が通っていない。そして、それを事実として受け入れざるを得ない、ようやく主人公として目覚めた(と言わざるをえないw)まどかがどうして「全ての魔女を、生まれる前に消し去りたい。」という願いに至ったか。まあ、そんなことはどうだっていいんだ。そういう理屈っぽくて、でも、よく考えたらおかしい話。それでも見ているものをねじ伏せる、そういうパワーが有ったんだと思う。

結局のところ、この作品のミステリーとしてのカタルシスは10話にあり、11話と12話は、ストーリーとしての後日談に過ぎない、というと言い過ぎだろうけれども、単なるご都合主義で片付けないことによっていわゆる少年マンガ的な勧善懲悪のカタルシスは得られなかったし、もやもやしたものが残る。でもその余韻こそがこの作品が表したかったことの集大成なのかもしれないな。なにしろまどかが変身しているんだしw
QBたちの存在を悪ではない、でも受け入れがたい存在として描いた時点で、すっきりとしたエンディング足りえないことは分かっていた。(今回の物語として筋が通っていたかどうかは別として)合理的思考と感情的思考の対立はSFにとって永遠のテーマでもある。
最後にまどかが高次の存在になる、というのはSF的展開としては至って一般的な幕の引き方だけど、それによって、視聴者が体験したループが見える視点を獲得した、というのは面白い。此処へ来て、視聴者のほむらへの感情移入と同じものを持つことができて、斯くして、「わたしの、最高の友達」となる。

なんだかぐだぐだと書いてしまったけど、1クールのアニメとしてのテンポの良さと、ムダのない、想像力を刺激する演出によって、最後まで楽しむことができた。良質のジュブナイルSFを読んだような。まあこの作品がSFかって言われると決してそうではないと思うんだけどね。

なんとなくだけど、この作品がエヴァ劇場版の結末に対するハードルをおもいっきり上げてしまったような気がする。当面の間、アニメにおける高次の存在化オチはこの作品を超えるか否かが問われてしまいそう。

これで、3話のあれがなければ、もう少し万人向けのアニメだっただろうと思いつつ、あれがなければきっと出会ってもいなかった、というところが難しいな。とにかく、話題を獲得したことで、埋もれてしまわなかったことに感謝したい。

面白かった!ありがとう。