自炊業者訴訟問題の違和感(音楽著作権問題との相違)

ここ最近触れてはいなかったけど、僕の関心ごとの一つに著作権問題があるのは御存知の通り。
もちろん法律が専門なわけではないから、主にユーザー目線からのおかしな事への考察をしてきたつもり。ただし、今までの対象は音楽が中心であり、仮想敵wは主にJASRACだったけど。

自炊の件については少々複雑に思っている。状況としてはCCCDダビング10、その他のDRMの問題に近い。

CDがMP3でPCに取り込まれることが日常化してしばらくして、本末転倒の事態が起きた。PCに取り込まれることそのものを防ぐためにCCCDという愚かな規格が誕生した。その時も議論になったのは「買ったからにはそれをどう扱うかは消費者側の権利の問題」であるということ。その視点で見ると今回も同様の問題に見える。ただし、CDからPCへデータを取り込むのはCD-ROMというほぼ標準搭載の機器でできたために、取り込み代行というのはほとんど存在しなかった。もしかしたら全く存在しなかったかも。
そういえば、一方でVHSビデオをDVD化するという商売はあったような気がするな。ちょっと調べてみたけど市販のものに関してのそれはむにゃむにゃって感じ…
さて、自炊についてはちょっとソレとは事情が違う。機材も手間も含めてハードルが高い。その差が代行業者の存在につながるわけなんだけど…果たしてお手持ちのCDをMP3化します、という商売があったとき僕達はそれを批判しただろうか。筋論から言うと批判していたんじゃないかと思う。当時そういう商売があって、どう評価されていたかをご存じの方がいると嬉しいんだけど。

まあ、そういう話も含めて考えるべきかというとそこまでではないと思う。

思い返すに、MP3化を許容するというのは楽曲が電子化されてただで出回るってこととほぼ等しいことを当時の僕達は「知って」いたと思う。でも、そこで争点だったのは電子化して所有することの是非そのものであったから、所有者側の権利として議論できたんだと思う。一方で、自分の曲をライブで演奏するとかえって損をするかもしれないえげつない金の奪い方をする「巨悪(象徴的な言い方としてね)」が存在していたことで、アーティストと消費者の理想的な関係を模索するという話にもなっていたんだと思う。

さて、自炊問題についてはどうだろうか。

ミュージシャンがこの問題に直面したときにどういう態度を取ったか。少なくともCCCDにはわりと批判的な声が多かったように思える。今回の一番の違和感は、スキャンすることとスキャン代行業者が存在することは明確に区別するべき話なのに、ごっちゃにしているようなコメントが作家側から多く散見されることだ。「図書館は俺らの売上を阻害している」問題もそうだけれども、「売れる」ということに対して貪欲な印象がある。でもそれは今回の論点ではないよね。

所有者が買ったものをどう扱うかはそれが商品である以上、所有者の問題であり、著作権者が文句をいうのはせいぜい悪意を伴った現代芸術のネタにされたときくらいのものであると思う。でも、それを業者が云々っていったとたん、私的複製の範囲問題が出てくる。ただそんだけのことだと思うし、スキャンしたものがネットに出回るかどうかとかは本質的には関係ないはず。だから、この話にかこつけて海賊版問題を語るのはやっぱり変だと思う。

なので、佐藤氏が

出版社や作家がスキャン代行に反対するのは、実害があるからではなく、自分たちの利権が奪われるのが怖いからだと思います。

http://mangaonweb.com/creatorDiarypage.do?cn=1&dn=32817

という風に言ってしまうのも仕方がない(ただし、多分にポジショントークの匂いがするけど)。このコメントを考えると作家側は根本的に勘違いしているような気がしてならないけれども。スキャン代行をすることに「自分たちの」利権なんて存在しないはずだからね。出版社側が正規の「自炊」サービスで稼いでいない限り。

うーん、やっぱり不思議だなあ。消費者、原著作権者、出版社の三角関係がきちんと成り立っていた音楽業界に比して、書籍業界は消費者対作家・出版社という対立関係で語られるほうが多いように思う。なんでなんだろうかねえ。僕達が考えるべきなのは、作家を罵ることじゃなくて、次の著作物と著作権のあり方について、現状は利権団体の側面もある出版社と作家をきちんと切り離して物事を考えるべき、という点だと思うんだよね。佐藤氏が目指すのはそっちの方向性だし。音楽なんてひどいもんで、委託もなんもしてないオリジナルの楽曲だけを扱っても金をとっていく団体がいるわけなんだが、書籍はそういう話はあんまりないよね。まあ、そういうことが起こりうるシチュエーションが少ないだけかもしれない。でも、出版社以外にそういう団体がないことは幸せな状況だとは思う。ただしそのぶん書籍に対する「編集」の存在は大きい。彼らを食わせているのは作家の著作権から生まれる権利が出版という行為を通して生み出す価値だからね。それがクオリティーコントロールのために必要な存在なのであれば、編集と出版社の関係も見なおしていくべきなんだよね。

ただ、音楽においてもそうだけれども、芸術におけるパトロン的な何かを仕組みとして成り立たせないと、生まれてこない何かもあるんじゃないかな。そういう意味で、出版社は悪の利権団体として捉える必要はないと思うし、共存共栄を図るべきだと思う。その点、今回の問題をいかにハッピーな形で昇華して次のステップにつなげるかというのは非常に重要なんだけど、権利の問題(これは利権の問題と解釈される)をクローズアップしてしまったせいで無駄に本質論につながってきてしまった。出版業界は音楽業界と同じ道をたどろうとしているのだろう。出版業界人が自分たちは文化を支えているのだという自負をもっているのであれば、ぜひとも利権の問題を乗り越えて、新しい消費者との関係を築いて欲しい。