「夢」のシステムが実現しないわけ

身につまされるところがいくつかあった。

まず顧客には「本当に必要なもの」がある。金出してやるプロジェクトなんだから当然のことだ。ところが、そこにコンサルが入って次期システムのあるべき姿という「素晴しい夢」を説く。「夢」の話は楽しいし前向きだから、みんなそれに夢中になる。いつの間にか、「本当に必要なもの」は実現されて当然ということで、話から消えてしまい、「夢」の方ばかりになる。
もちろん冷静な人達は、そういった「夢」はあくまでも「夢」だと思う。それでも「現場」の多くはその「夢」が忘れられない。「夢」をベースとした要求が起きる。
プロジェクトが遅滞してヤバくなって来ると、「夢」を見ていた人達も冷静になって来る。それでもやっぱり「夢」は忘れられない。また、「夢」で浪費してしまった時間は取り返せない。

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僕が今やっているシステム開発はこの「夢」に近い部分があると思う。もちろん、夢だけを追っているのではなく、現実な落とし所で作っているんだけど、正直言って、夢をきちんと形にできないと意味がなかったのではないかと思っている。
「夢のシステム」と「非現実的なシステム」ってのは別個の概念で、あるべき姿という夢を現実的な形に折り合いをつけていく…んだけど、その過程の中で「夢」が実現しようとしていた大切な部分まで削ぎ落とされてしまい、「夢」を全く無視してないよという形をつけるためだけにシステムとは無関係な部分で無用なプロセスが出来上がる、という最悪の形に着地することだってある。

その原因はいくつかあるけれども、特にシステムが大きいと、例えば単に共通モジュールつくろうぜ、と言った場合ですら「あの課が作ったものを使って変更が入ったらどうする」とか、そういうセクショナリズムの壁に阻まれてしまう。そういうのを何とかするためには、システムそのものではなくて、組織の有り様から見なおす必要があるんだけど、それができない。まあできないよな。
なので、夢が絵に描いた餅になってしまうのは、それがシステムとして実現可能かどうかの外にあることが多いと思うんだよね。夢がでかければでかいほど、システム屋の範疇を超えて広がっていってしまうから、僕達は夢のない「できませんよそんなこと」というセリフを吐かざるをえない。それは不幸なことだとは思う。

SIerなんてIT業界の中では賤業に近いと思うけど、それでも夢を形にする仕事だと思ってやっているわけで、それがシステムとは関係ないところの政治によって阻まれることはとても悲しいけど、もう諦めている部分もある。