ギラギラと輝き人を照り殺す、渡邉美樹氏の人間力

「和民」の名前が人名をもじったものだ、というのを僕が知ったのは、高杉良氏のノンフィクション小説でだった。

青年社長(上) (角川文庫)

青年社長(上) (角川文庫)

青年社長(下) (角川文庫)

青年社長(下) (角川文庫)

このときの感想は「すげー人が居るもんだ(俺はできないなこれ)」だった。脚色は当然あるにしても、これだけのことをやったからには「人間やれば出来る」って思っちゃうのはしょうがないよね。
渡邉社長は、起業資金を得るために、佐川急便のセールスドライバーとして、大卒であることを馬鹿にされながら死ぬ気で働いて、短期間で資金を得た。頑強な肉体(当初は苦労したようだが)あってのことだろうから、誰しもが出来ることではないのがその時点でわかる(本人はそう思っていないようだが)。そして、その原動力はやはり「起業する」という強い思いだろう。
僕が常日頃から思っているのは、人生において仕事ってどういうものなんだろうということで、例えば、仕事こそ人生、になった場合、起業せずにはいられないと思っている(そうでもない人はたくさん居るのでこれはあくまで個人的な価値観)。逆に言うと、会社員として仕事をしているのは、仕事とそれ以外のバランスが上手く取れるからに他ならない。
仕事に対するスタンスは、人によって全然違うし、それによって社会は構成されているので、会社というのはそういう様々な人たちを上手く使って社会を回していく組織なんだ。もちろん、社風というものはあってよいんだけど、それが過剰にならないようにするためにも、労働基準法なり、色々な法的な規制があるわけだ。

渡邉社長やワタミには、魅力的な部分ももちろん多々あると思うんだよね。是非はともかくとして、その行動力、推進力には目を見張るものがある。彼自身は輝く太陽というか、泳ぎ続けなければ死んでしまうマグロというかなんというか、そのバイタリティーが標準のものとは到底いえないのだけれども、それは彼の価値観から言うと当たり前だし、みんなが出来るものだと思っているんだろうね。

停滞しつつある日本の社会の中で、そういう推進力は重要かもしれない。むしろ、彼の体現するがむしゃらな部分は、日本の高度成長を支えた精神そのものなのかもしれない。そういう点において、ワタミを単なるブラック企業と捉えて非難することはあまり建設的ではないのかも…

でも、それが社員を不幸にする結果を生んだのは確かだ。彼女はワタミの輝く太陽に照り殺されたというべきかも知れない。個としての渡邉社長が光り輝くのは悪いことではない。でも、会社という組織が人が干上がっていくことを是とするのは許されない。渡邉社長は活気に溢れる元気な社会を望んでいるのだろう。でも、それについていけない人を切り捨てるような社会にだけはしてはならない。

なんか続編が出てるのね

新・青年社長 上

新・青年社長 上

新・青年社長 下

新・青年社長 下