被害者にもの申す社会

死刑がなくならないのは被害者が世間を騒がせた罰としてあたかも加害者の贖罪をしないといけないかのごとく世間の注目の的になるからってのが一因じゃないかと思う今日この頃。
本村さんが再婚していた件ね。

被害者として世間にもの申すためには幸せであってはならないなんてことはないんだから、世間も被害者に悲劇の主人公であることをもとめちゃいかんのよ。被害者(あるいはその家族)はたとえ幸せな日々を得ても悲しい過去を完全に清算することはできない。でも、それを記憶の片隅に追いやることができたら日常を取り戻すことはできる。社会はそれを支援すべきだし、非日常のままでいることを期待してはならない。
だから、てっきり好意的な反応が見られると思ったら結構ネガティブな反応があって驚いた。なんで祝福できないの?

被害者が社会の一員としてなにか特権的な地位を得ているわけではない。確かに自分の受けた仕打ちを元に社会に物申すことは多いけど、それはあくまで犯罪被害の代償であってさ、それ以外の部分の日常を過ごす権利と引き替えな訳じゃない。
まあ、そういう場面を利用して宗教活動や全く違う件についての政治的発言やトンチンカンな非難を行ったとしたらそれ自身は批判は避けえないだろうけど。