記述の正確さを問題にし始めると、世の中途端に生きづらくなる

よく電車の中にある広告で紹介されている入試問題(presented by 日能研)にたいていは「ただし、XXについては考えないものとする」と書かれているのは、厳密な問題として解釈した際に、答えが複数出てきてしまうから、物事を単純化(というよりは抽象化)して考える問題です、ということの提示だよね。実際、中高生の時に目にした数学や物理の問題には誤差を考えないとか、ただしXXという前提にするとかいうものが記載されていて、そのことを誘導してくれていた。

大学に入ってから、実験(といっても僕は認知心理学系のだけど)をするようになって、結論に確率を絡める必要が出てきて、今度はこちらから誤差や仮定を積極的に提示する状況になった。
自動車の免許を取得する際に、再び思い知ったのが、日本語の厳密な適用をするとあたかも引っ掛け問題かのようなものになってしまうことが多いんだなあということなんだけどね。

さて。

例えば「平均より身長が高い生徒と低い生徒は同じ数いる」という問題。
読売の表現の場合「一般論として身長の分布はほぼ正規分布する場合が多い」という知識を元に「正規分布するグラフにおいては平均値と中央値が一致する」という知識を問う問題として解釈することできる。
しかし、元の問題文では以下のようになっている。
第一ステージ(2題・5分)
1-1 ある中学校の三年生の生徒100人の身長を測り、その平均を計算すると163.5cmになりました。この結果から確実に正しいと言えることには◯を、そうでないものには☓を、左側の空欄に記入してください
□ (1) 身長が163.5cmより高い生徒と低い生徒は、それぞれ50人ずついる。
□ (2) 100人の生徒全員の身長をたすと、163.5cm x 100 =16350cm になる。
□ (3) 身長を10cm ごとに「130cm 以上で140cm 未満の生徒」「140cm 以上で150cm 未満の生徒」…というように区分けすると、「160cm 以上で170cm 未満の生徒がもっとも多い」

問題文を参照するとこの問題は「中央値と平均値と最頻値が常に同じであるか否か」と聞かれているという事がわかる。
身長が完全に正規分布している場合は中央値と平均値と最頻値が一致する。しかしそれ以外の場合では一致するとは限らない。
問題の例では完全な正規分布であるという保証はなく、一人のズレもなく平均より背が高い人と低い人がの人数が一致するとは言い切れない。
したがって(1)は☓である。
読売の記事と実際の問題文では要求精度が異なり、両者の正答が一致しない可能性がある。

「平均」の意味うんぬん - 情報の海の漂流者

報道される問題の概要について精度を問うてもあまり意味がないような気がするのはおいといて、仮に正規分布したとしても、「より高い、より低い」が50人ずついるとすると、中央値が163.5を取ることはありえないし、最頻値もまた然りである。なので、国語の問題としてはむしろ中央値と最頻値は俎上に乗っていないことがわかる。

数学の問題と捉えると、この問題はほとんど知識を問う問題といって良いと思うのだけど、ポイントは「確実に正しいといえる」という言葉が何を意味しているかをきちんとわかるかどうかであり、誤答してしまった人のそれなりの人数は「正しい可能性がある」ことをもって(1)を○としてしまったんじゃないかと思う。だから、このテストが多分に国語の問題的である(真に数学の知識を測るにはノイズが乗りやすい)という本質的な問題はあると思う。

仕事をするときに、困ることがある。物事の厳密的な解釈を示さない限り先に進めない人がいて、得てしていい加減なところで結論を出して先に進まないといけないのにそれができないから迷子になってしまう。

(2) 100人の生徒全員の身長をたすと、163.5cm x 100 =16350cm になる

これは相当悩んだ。

身長は基本的に実測値であり計測誤差が存在すること。小数点以下第2位の取り扱いについての記述がなく、丸め方が明記されていないことなどを考慮すると1cmの精度を確実に保証できるのか疑問であったからだ。

「平均」の意味うんぬん - 情報の海の漂流者

前述したように、この手の問題で計測誤差が存在しないことを提示しないことは中学入試レベルでもやってはいけないタブーであるからして、確かに測定誤差を気にする人はいるかもしれないんだな。
それはそれで態度としては正しいのだけど、常にそういう態度で臨まれると仕事の場とかではうまくコミュニケーション出来なかったりする。

日本人及び日本語に暗黙で要求されているのは、こういった前提にうまく折り合っていく能力だったりして。これは数学(や論理的な思考能力)のテストだったけど、実際に浮き彫りにしたのは、数学を憂いている人たちの日本語伝達能力は大丈夫?ということなのかも知れない。

問1では「平均の定義と定義から導かれる初歩的結論」、「少し複雑な命題 の論理的読み取り」のどちらも誤答率が高く、論理を正確に解釈する能力に問題があることを示しています。

日本数学会・「大学生数学基本調査」に基づく数学教育への提言

こうして結果の分析をみてみると、問1は元々数学の基礎知識をベースにして日本語を用いた論理的な文章解釈をするという問題を意図していたということがはっきりわかります。てことは、ちゃんと伝わらなかったかも知れない「確実に正しいといえる」を必要としない問題の提示が本来はあるべきだったんじゃないかと思いますね。

そして、そのことは、「言葉を厳密に解釈して答えを出す場」であってはじめて重要だということも意識したいものです。常にそれが正しい思考なんだ→放射能の危険性がわからないから云々、という誤った考え方を醸成することにもなりかねないですし。