リスク管理と同調圧力

政治家は人より賢くなければならないという法律はないけれども、一般的にはそれを期待されているだろう。
とはいっても、一般的に賢い人とは「自分でものを考えられる人」と見做されることがあり、また、「社会の問題を追求する」ことがその証明とされることがあったりもする。消費者問題なんてまさにそのたぐいのものだと思う。正しいものもあれば正しくないものもあるけど。
社民党なんて元々そういうあたりが得意だった気がするんだけど、もうぐだぐだよね。

社民党が、反ワクチンの医師を招いて講演会を行い、さらにその主張に沿った記事を機関誌に大きく掲載したと。

社民党機関誌「社会新報」に大きく見開きで「予防接種 本当に必要?」の記事 - Togetter

貼られた新聞の見出しに「ワクチンビジネスの支配」なんてのがあって笑うしかなかったんだけど…

原発問題で身にしみたこと。結構な人が「リスク」というのは避け得ないものであり、適切に管理すべきものだ、ということをわかっていない。リスクは徹底的に避ける、というのが正しい方法論と思っている。避ける=目をそらす、である現実に気づいていない。それは予防接種忌避の話が広まっていた時から結構感じていたことで、原発問題で決定的になった。
極度の心配性であるうちの妹ですら、放射能のリスクについてほとんど心配していない(地震は超怖がっていた)あたりからして未知なるものへの恐怖なんだなあと思うばかりであるけれども、とにかくにも、生活リスクが相対的に小さくなっている現在、予防接種や放射能のリスクが過剰に捉えられてしまうのは社会心理的にしかたがないものなのだろうけれども、「日本的なるもの」として、しなければならないことを「同調圧力」呼ばわりしてきたつけなのかもしれないと思ったりはする。政府やコミュニティーに唯々諾々と従うことカコワルイみたいな。自分で考え、自分できめるのが現代人みたいな。

そもそも、社会というのは何らかの形で同調を強いる集団であって、それが特別日本的なるものではない。外国の場合、宗教で隠蔽されていて目立たないだけ。大体、日曜日は礼拝に行かないと、なんて日本だったら同調圧力と非難されるかもしれない。アメリカの選挙を見ていたってそう思う。

予防接種だって、社会全体のリスクを減らすために個々にリスクを取らせるというものだよね。そこにあるのは相対的なリスクで、大抵の人は恩恵に服し、ごく僅かな運の悪い人が犠牲になる(こともある)。それがうまくいっていることによって社会全体のリスクの絶対的な数値が下がって個々のリスクが相対的に大きくなっているように見える。そうすると、このような「予防接種は悪」的な話をする人が出てくるよね。

ワクチンの安全性とか、そういった部分については問題が全くないとはいえない。だから、そのような点について改善していなかければね、という前向きの発想であれば誰も文句は言わないと思うんだ。でも、せっかく発達してきた公衆衛生の概念を根本から覆すようなやり方は間違っていると思う。結局のところ、リスク管理の問題にしか帰結しないんだから、個々人にクローズアップしすぎて社会全体を見ないようなものは議論に値しないと思ってる。

これって、ITの仕事でも同じで、「そのリスクは誰が取るんだ」といって過剰にリスクを取らないやり方をした結果、出来上がったシステムは使いものにならないという結果に終わったりするんだけど、それって会社の経営という一番本丸の部分にリスクが発生しちゃってたりするんだよね。