情報リテラシーを受け手側だけに求めるのは卑怯だ

今回の虚構新聞問題についてわりと擁護の声が多いのは、なんだかんだいってネタサイトとして愛されていることが一番の理由なんだと思う。中にはアンチ橋下に対する弾圧だみたいな意見もあるけどそりゃ橋下ネタが本人の発言のいただけなさもあってネタとして採用しやすい結果としてよく目に触れるからってだけじゃないかとは思う。

そのような背景はあるにしても、やっぱり僕は今回の虚構新聞のやり方はイマイチだと思っている。

先のエントリでも挙げた「嘘を嘘と見抜けないと」というのは、「嘘」という悪意から身を守るのは自分自身の力が必要だ、ということであって、嘘が無条件で許容されるということを意味していない。受け手側にリテラシーがあれば問題ない、というのはそういう無責任発言を無条件で肯定するための逃げであり、ずるい話なんじゃないかと思ってる。
その点、例えば東スポ文脈とか週刊XX文脈とか夕刊XX文脈で書かれたものが必ずしも許されないこともそうだし、既存のメディアに対する「デマこいてんじゃねー」って話は実際には情報リテラシーが十分であれば「そんなわけねー」で済む話にすぎないと言っているのと一緒であるわけで。実はそれってダブスタなんじゃないの?

もう一度繰り返すと、受け手側に情報リテラシーが必要なのは、悪意から身を守るというのが本義である、と僕は考えている。なので、受け手側の情報リテラシーは不要になることなどない。だからと言って、発信者側がそれに甘えて「嘘を嘘と見抜けないと」とうそぶくことは卑怯だと思う。嘘が嘘とわからないように書くのは手抜きか悪意かあるいは実力不足か。実力不足に対しては寛容になるべきだとは思うけど、いまさら虚構新聞にそれを適用するのはありえない。

僕はこの発言も問題だと思っている。読み手側にある程度判断力を求めることはまあ良いと思う。でも、発信者側のリテラシーとして、出来るだけ誤解を招かないような努力をすべきだと思う。ましてや、今回は発言のねつ造であるよ?これが架空の人物の架空の発言であれば、文句も言わないが。

風刺ということについて思う。あくまで嗤うべきは風刺対象であり、それを読んでだまされた読者を嗤うべきではない。ネタに引っ掛かったのを喜ぶのがこういうサイトをやる目的だろうし、そのこと自体は悪いことじゃないと思っている。でも、引っ掛かって嘘を広めてしまった人を嗤うのは問題なんじゃないか?
そもそも、上記の発言は矛盾している。リテラシーのある本誌読者ならタイトルを読むだけでネタとわかるだろう、という風に受け取るしかないのだが、であるならば、最初からネタだってわかっているからリテラシーのない人の為にタイトルに虚構新聞と入れればよいのだ。そうでなければ、虚構新聞は、記事としてのターゲット(この場合は橋下)を皮肉って嗤うのではなく、引っ掛かった読者(実際には普段読者でない人たち)を馬鹿にするのが目的のサイトだってことになってしまう。そんなのは風刺サイトでもなく単にネタで人を馬鹿にする悪意をもったサイトにすぎないだろう。いや、別に風刺サイトじゃないか。だとしても、勘違いした人が悪意の二次災害を引き起こすことを是とするわけにもいかないけどね。

僕は虚構新聞自体は嫌いじゃない。ニヤッとすることもあるし、ええって思ってアクセスしたらなんだ虚構かって思って楽しむこともある。でも、今回のような記事が最近増えてきたような気がするし、それは目的を見失っている方向の記事なんじゃないかって思えてならない。アクセス数稼げれば何でもいいやの世界に近付いていると感じている。
であるならば、虚構新聞悪意のあるサイトとして認定せざるを得ないし、究極の受け手側リテラシーとしては、フィルタリングしてみない、というのが正解になってしまうと思うんだよね。
そうであってほしくないから、今回の件については擁護できない。