虚構新聞は風刺サイトじゃないよね

もういい加減このネタは終わりにしようと思いますが…
「風刺」というものが成り立つためには、フィクショナルな文脈の提示が必須要件だと僕は思っています。小説やマンガや落語が風刺と相性がいいのはそもそもフィクショナルな文脈を持っているからとも思っています。
あれだけ「いい話」の真実性について大揉めに揉めたのは、フィクションとノンフィクションを混同させる文脈の提示があったからですよね。

今回の虚構新聞の記事において、フィクショナルな文脈はどこにあったか。それは「虚構新聞であること」のみ。虚構新聞が風刺サイトなのであれば、記事をみて(それが楽しみとしてでも怒りとしてでも)「騙された」ということを感じさせるのが目的ではもちろんないわけです。しかし、虚構新聞は「本誌読者の情報リテラシーを持ってすればこの記事が虚構であることは自明」と言い放ったわけで。ということは、虚構新聞が提示しているのは「面白い記事で騙す」というのがサイトの目的だということです。面白いネタの中にたまたま風刺的な要素がある(まあ風刺というのはうまくやれば大抵面白いわけで)だけだと。騙すのが目的であるから、タイトルに今から騙します、というメタ情報は付けられないんだよね。

で、なぜか全く橋下市長に関係もない、嘘が見抜けなかったからといって笑ってすませばいいような(大きな実害が認められないような)人達がこぞってクレームに押しかけたのである。

虚構新聞の件が投げかけるすごく重要な話

何年か前から、僕は不本意ながらも、当初ウェブが発生し広まっていた時に見えかけていた、留保のない表現の自由の時代はもはや終焉を迎えつつ有り、リアルワールドのルールにある程度即した形での表現の自由に制限されるという終わりの始まりの時代であるということを主張してきた。その中でも最低限のラインを守るためには、ある程度自律的な形でコミュニティーが機能していかないといかんとも思っているんだよね。難しいけど。
そうすると、匿名の卑怯者とか、無断転載の輩とか、実在の人物の発言を捏造する人とかをどう扱うかというのは大きな課題なんだと思ってる。はっきりいってしまうと、下衆どもをどうするかですよ。でもって、下衆認定されないためにはある程度立場をはっきりされた形でコンテンツを提示して行かなければならないと思うわけ。虚構新聞はタイトルに虚構を入れないことで下衆である地位を守ろうとしているのか?であるならば、インターネットの自由の潜在的な敵と見做さなければならない。いや、闘争なんてしたくないけどね…

ちょっと極端な物言いをしてしまいましたが、これからのインターネットには今まで以上に文脈と切り離されることによる問題が発生すると思っているので、自己防衛的な部分も含めて、明確な文脈の付与を心がけるべきだと思います。仕組み的にもうちょっとメタ情報がテキストと分離してはっきり提示出来ればよいんだけど、そういうふうにはたぶんならない。

今回非難が集まったのは、実在の人物の発言を捏造した、と言われるレベルのネタを書いてしまったことで、それを無条件に許容するのはウェブの将来にとってマイナスであると思った人が多かったからなんじゃないかと思いますよ。