情報リテラシーなるものの正体

ここ1週間の騒動で、だいぶ色々なものが浮き彫りになったと思う。
特に「情報リテラシー」なるものの実態のなさが鮮明に。

切込隊長の名言。

リテラシーに絶対水準などない、あくまで確率発動のスキルなのだ、ということを思い知らされる気分です。

試される虚構新聞: やまもといちろうBLOG(ブログ)

まさにそのとおりですね。
虚構新聞に騙されなかった、お前らよく読めwwと胸を張っている人たちの結構な数が、虚構新聞に騙されてるわけじゃないけど批判しているエントリを読まずに批判、あるいは読んでも意図を読み取れないという惨状があちこちで繰り広げられた、というのはそれを象徴していますね。
http://oresen.sakura.ne.jp/2012/05/19/1205190400/によくまとまっています)

いや、ちょっとまて。確率スキルどころじゃなく、スキル発動条件も結構厳しいんじゃないか?つまり、「虚構新聞」って書いてあることでようやくネタだと分かる程度のリテラシーでは虚構新聞を批判した人たちが「俺は騙された」「俺は騙されていない」とサイト名にでも書いてあるんじゃない限り、騙された人なのか騙されたない人なのか判断できないという可能性があるじゃないか…
つまり、ネタにすぐ反射してしまう、かなりリテラシーの低い人達が、虚構新聞というラベルによってかろうじてリテラシーを保っていて、それと紙一重の、あるいは、虚構新聞というラベルをまだ認識していないだけの人をバカにしている、という構図があったのかも知れませんよ?

そもそも、情報リテラシーがないとネットで活動するのは難しいってのが本当だとして、どうすればだまされないか。嘘を嘘と見抜くためには何が必要なのか。
科学の素養?経済の知識?政治勢力の把握?宗教の知識?医療のすべて?
無理に決まってるじゃん…

専門家ではない部分について、ある程度の知見を得たいのであれば、人を信用するしかない。信用出来る人をどのように見分けるか、というのが一つの情報リテラシーでしょう。
また、自らの論理性を鍛えること、また、(それに凝り固まる必要はないけど)科学的な物事の見方、検証方法をひと通り身につけておくことも情報リテラシーでしょう。

今回の、あまりに多かった「騙されちゃって悔しかったんだね」の人は果たして情報リテラシーがあるといってよいのか。なにしろ、嘘を嘘とわからなかったどころか、そこに書いてあることすらわからなかったんですよね。あるいは読んでない。騙されなかった人の言い分として、ちゃんと読んで判断するというのは金科玉条みたいなものですから、それができていなかった以上もう発言権がないと言って良いくらいダメ。本当にダメ。

情報リテラシーがあるって言っている人のリテラシーですら、そんなものです。リテラシーの教育をすれば万事解決するなんて幻想ですよね。

それでも、ないよりあったほうがマシなのが情報リテラシーってものです。あくまで、それは自衛のためのものであり、情報の発信側が、受け手側の情報リテラシーを期待してはいけないと思います。だってさ、情報リテラシーが期待できるのであれば、放射脳とか代替医療とか、信者以外に引っかかることを心配することすら必要ないじゃないかって。