「〜〜は悪だなー」と皮肉ることについて

昨日のエントリはなんか意図しない方向に各方面で議論されちゃってたような。

ネタとして妥当だったとか、ネタの意図まで理解できないとネタだとわかってもだめだとか、そもそも色々考慮して読んでも意図がわからないよとか。

まさか、ネタとわかってなおその意図について疑義を呈する必要が有るかとまでは思わなかったなあ。というのは僕が銀英伝を知っているからではない。日本語ムズカシネ。

単純な構造として、XXは悪だなんてかけらも思っていない人が、架空の、あるいは実在の悪と目される人物あるいは団体に、あるいは、皮肉るべき対象であるところの衆愚という名の世論に、「やっぱりXXは悪だ」と語らせる。そのことにより、「ひでーこと言いやがるなあこいつら」みたいな印象を与えるわけだ。で、その背景にある思想なりがそういうことを言わせる=そういう考え方は駄目だ、というのを暗に提示するわけ。そのひとつの手法として、そのような立場から代弁してみる、というのが今回の発言だろう。もっとも、その背景にある思想の根底みたいなのは、そこで提示された団体やら人物が架空のものであった場合、それを知っている、あるいはそれがどのような主張をしているかが容易に読み取れないとそこまではたどり着かない。ただ、そこまで辿りつけなくても、少なくとも「XXが悪」ということは的はずれだよね〜ということを言いたいというのはわりと想像可能な文脈であるとは言える。
だから、ここで重要なのは、自分の発言はその対象とする思想に基づいた、本心とは異なる皮肉である、ということがどれだけ提示できているか。伝統的なネット表現では「〜〜だよね(棒)」というのがある。(棒)は棒読みを意味していて、つまり、大根役者がセリフを述べているようなウソの発言であり、本心ではないのだ、ということを示しているわけだ。今回の発言については、それに代わるものとして、架空の団体を提示していて、確かにそれが銀英伝を知らない人にとってはどういう立場でどういう物言いをすることを想定しているかはわからない。ただ、それが架空であることに気がついた場合、少なくとも(棒)と同じ程度の文脈を読み取ることは可能だ。
実の所、(棒)はなぜその言葉を皮肉らなければならないかという背景までは含有していないので、もっと文脈依存の(つまり、大抵の人がその発言はどういう人が言うだろう発言だという認識を共有している)言葉ではあるんだよね。

で、ネタの妥当性というのはまた別の話。

もう一個気になったのは、発信者がネタを介さない読者にどこまで配慮すべきかということ。それが伝えられなければダメでしょ、という意見が散見されたんだけど、それって虚構新聞はOKなのNGなのって話と解釈。僕のスタンスは、ある程度明確なネタ文脈がないのであればNGということであるので先のエントリのような提案(まあネタだけど)をしたわけだ。ぶっちゃけ、小説書いて「XX殺す」ってセリフをtwitterで引用したら逮捕みたいなのはやなわけで。

少なくとも、ネタ文脈を提示した上で「どういう意味かわからないんですけど〜」って人がネタの解釈を求めているのか、ネタだとしても許さん的に怒っているかというのはわからんし、それって質問側にも配慮が足りない(自分の質問の意図をちゃんと伝えてない)ということにしかならないので、そこにいたってしまえばどっちが悪いという話は不毛だと思うんだよね。「ネタだとわからなかったから不愉快になってしまいました」であれば「ネタとわかるような書き方が甘かったですごめんなさい」で済むだろうし、「ネタにしても不愉快」であれば「皮肉大好きなんですごめんなさい」で納得してもらえなかったらさようならだし。ネタということが提示されていてなおそれ、ということであれば僕はそれ以上は配慮がいらないと思うんだよね。

ただ、ネタ文脈の提示が足りないということについては今後益々問題化していくと思う(今回の件は結局そこの問題だと思う)ので、(棒)に代わる、わりと共有可能でダサくないネタ文脈メタ記号をだれか考案してください。