科学者の信頼度と政治

id:kanoseさんが疑問を呈していることについて。きくまこさんの科学者としての評価云々についてはそこのコメント欄でのid:DocSeriさんのコメントが大体僕の思うことを言ってくれているんだけど、そもそもの問題として、こういうのって実際には「科学者の信頼度」を気にしているわけではなく、「政治的に正しい」ことを言っているかどうかが問われているんじゃないかと思うんですよね。
それは何を意味するかというと、極めて曖昧な事項について、自分の思っていることと同じ事を言っているかどうか。科学者だって万能じゃないので、特に専門外でない部分については見解が分かれたりするわけです。専門分野に対する信頼度が高ければ高いほど、政治的な利用価値が上がるというまあよろしくない状態があったりはします。
なので、政府見解に近いことを述べる科学者は御用科学者と認定されがちだし、一般に広く認められているものへの反XXを言う人はともすればトンデモ勢力から祭り上げられる、と。
そういう場合、その正しさについて、専門家ですら確たることを言えるわけではないケースであるから問題なのですね。
反対勢力にとっては、その正しさというのは錦の御旗ですから、それを絶対真として担がなければならない。だとしたら、それに反対する科学者は間違っている。だから科学者としてダメという評価になるのではないか。

ウェブ時代になって困ったなーと思ってことの一つに、説明レベルを相手に合わせることが難しくなったということがあるんだけど、それはどういうことかというと、初学者に対しては正確性より概念の伝達が重要だったりする場合、正確に言うと間違っているけどわかりやすい説明をしたりします。言葉も丸めたりします。で、概念が出来上がってから精緻に穴埋めしていくような。そういう説明を部分的に捉えると当然間違っているように見えるので、それをウェブで不特定多数向けにやってしまうとその部分について執拗に攻撃されたりして。そういう部分も「科学者としてダメ」を助長したりしますよね。結局、科学者として正しくあるためには、科学者にしか伝わらない言葉で科学者にしか伝わらない科学的な態度を元に科学者にだけ理解してもらうような発言のみをするしかない。極端かな。科学者として発言がどうか的な部分でのみ評価をしてしまうのであれば、はっきりとした結論を言わない科学者しか正しい科学者はいないかも知れません。

でも、例えば、放射能の評価について、概ね問題ない、という意見をいうということは、その時点で科学ではなく政治に踏み込んでいるとも言えます。社会に対して、行動を促す意見を提示したということになるわけで。

というわけで、本当に科学者としてダメという事に対して科学的なアプローチでの具体的な指摘がない限り、それは政治的立ち位置を認めないという風に言い換えることができると思うし、それで評価を終わらせてしまうというのは、結局科学的な事実ではその科学者の意見を論破することができなかったというある種の敗北宣言である、というのはブクマにコメントしたとおり。そんな評価するくらいだったらはじめから政治的なアプローチで戦うべきだと思うんだけどね。