批判の禁じ手

「なになにはダメ」という批判を行うときに、具体的なダメポイントを上げろと反論された時に、「ダメじゃない理由をあげろよ」というのは悪魔の証明よりはマシだとは思うけど、やっぱり禁じ手だと思うんだよね。
それをできないのは、あるいはそこを積極的、具体的に批判しないのは、実際に批判したいのはそこではないんだけど、それは単に見解の相違で片付けられちゃう等の不都合があるから、その人の別の属性をテキトーに批判することで全体を貶めれば結果的に実際に批判したいところも合わせこみで批判できたことになるよね〜程度の下衆さ加減を感じちゃったりすることが多々あるんだよね。